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夏は去りぬ

昨日(27日)豆台風がアメリカに去った。その前日爺さんは1週間ぶりに集中治療室から一般の病室に移り、孫たちと会ってお別れの言葉を交わすことができた。婆さんんにとってはまったく騒々しい限りのひと月だった。孫たちが去った後、婆さんの家はシーズンオフの海辺のような、祭りの後のような、しずかだけど、少しばかり侘しいような感じがする。それもつかのまで、爺様が退院すれば、またまたあわただしい毎日が始まるだろう。今のうちにゆっくりしておかなければと、思うのに、爺さんの連れてきた犬のまるは朝4時前後からワンワン吠えだして、ほぼ一日中吠えている。婆さんは寝不足で少しも休まらない。まるは痴呆がでているのかもしれない。
 爺さんはのど元過ぎれば熱さ忘れるのことわざどおり、病室から、コーヒー持ってこい、卵もってこい、納豆持ってこい、・・・・とメールをおくってくる。大勢の方にご心配をおかけしたというのに、不謹慎はなはだしく、本当に申し訳ない。わずか1週間前に、三途の河の淵に立った人のようにとてもみえない。まったく人騒がせな爺さんに、婆さんは心配したことを後悔している。

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by babamama_123 | 2009-08-29 00:14 | 日々の記録 | Comments(0)

一寸先は予測不可能

8月18日は爺さんの72回目の誕生日である。あすの手術を前に、爺さんはすこぶる快調だった。「明日は心臓動脈の手術や。この煙突掃除が済んだら、おれはこの先10年は安泰や」と、知人にメールを打つのに余念がなかった。
 19日の13時、爺様さんは車いすに乗せられ手術室に入った。手術は1時間ほどで終わるはずだった。婆さんは手術室の前で、文庫本「晩年の美学を求めて」(曽野綾子著)を読んで待った。なるほどと感じながら、こんな時につらいな、と目をあげると、時間は予定の1時間を軽くすぎ、2時間も過ぎようとしていた。ずいぶん時間がかかるな、とおもっていると、どこからか、妙な声ともつかない音が聞こえてきた。隣にいた夫婦も気がついてモーターの音かしら。近くで工事している風でもないのに、と話している。婆さんはその声に聞き覚えがあるような気がして少し不安になった。まさかとは思うののの、爺さんの声に似ていたからである。緊急事態があれば、知らせてくれる。そのために自分はここにいるのだと、気持を落ち着かせた。ところがそれから何分もしないうちに、手術室の扉があいて、看護婦さんが出て、また入った。それから、黒い金属の箱を抱えた看護婦さんやら、何か箱を持った看護婦さんが入り、他にももばたばたと出入りしてあわただしい。ゴム手袋をはずしながら、手術着の医者が出てきてどこかに行った。誰も婆さんには目もくれない。どうしたのだろうと、思っていると、酸素ボンベをくくりつけたタンカーが扉の前で横付けになった。恐る恐る、これは、この中に入るのかと聞くと、そうだと言う。さらに、何が起きたのかと聞くと、後で説明するから、集中治療室の前で待ってくださと、硬い声で言って、中に入った。さらに1時間たったころ、爺さんがタンカーに乗せられて婆さんの前を通り過ぎた。顔は灰色で、生きている人のものではなかった。おかしいと、娘にメールを送ると、仕事先を早引きして駆けつけてきた。6時を過ぎたころ、面会が許され、集中治療室に入った。爺さんのベッドの周りはモニターや機械が並び、爺さんの体のいたるところチューブがつけられ、両手足はベッドの柵にくくりつけられていた。医師の説明によると、手術中、心臓が停止し、不穏な状態になった、蘇生術も行ったという。その時胸の痛みで、爺さんはわけがわからなくなって暴れた、という。やはりあの声は爺さんの声だったのだ。今晩が峠だから、いつでも連絡のつくようにして家で待っているょうに言われた。
 それから三日間状態はかわらなかった。爺さんは麻酔で眠らされて微動もしない。しかし心臓は悪くはなっていないという。術後の状態に心臓が慣れてくれば、チューブもとれていく。月曜までは多分このままだろうと言われた。
今朝9時に回診の結果などについて医師の説明があるというので病院に行った。個人面談の後爺さんに面会した。心電図などのモニターのいくつかは撤去され、チューブもはずされて少なくなっていた。まだ麻酔で眠っている状態だが、声は聞こえているという。恐る恐る声をかけると、爺さんの手がわずかに動き、頭もかすかに動いた。反応は確かだった。まだまだ予断は許されないが、危機は去った模様だ。
夕方行くと、上半身を少し上に傾けて、爺さんは目をあけていた。声をかけると、しっかりした声で答え、なれると笑って、誰ちゃんがかわいい、とか言う。自分の体の状態もわからずに、あいかわらずの爺さんに、ほっとするやら、あきれるやら。退院の目途はまだ当分たちそうにない。

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by babamama_123 | 2009-08-23 03:18 | 日々の記録 | Comments(1)

今度は心臓

昨日爺さんは脳梗塞の術後検査を受けた。再びカテーテルを入れて、血管のその後の様子をチェックするのである。結果がよければ合格、退院、となるはずだった。ところが、ついでに心臓も検査しましょうということになり、MRだかCTだかで、心臓の血管の検査を受けた。すると、心臓に入る左右の血管2本にくびれが見つかった。フィルムをみせられたが、脳のけっかんほどでははないけれど、あきらかに細くなっている。これを放っておくと5年の間に心筋梗塞で亡くなる確立の高い症状です、と医者はいう。結局水曜に1本、翌週の金曜にもう1本、カテーテルをいれて、ステントとかいう網状の管をいれることに決まった。爺さんは今月末まで病院から出られないことになった。さすがにこの日の爺さんは神妙で覇気がなかった。婆さんはまたしばらく穏やかに暮らせそう、なのだが、そのぶんつけがおおきくなるのが怖い。脳梗塞のほうは無事合格。
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by babamama_123 | 2009-08-14 11:15 | 日々の記録 | Comments(1)

かぼちゃの種

明日は終戦記念日である。TVでそのころの話をとりあげる番組が目立つようになった。TVから流れる戦争という言葉に反応して、7歳の孫は、「なんで戦争なんかするのかなぁ、おばあちゃん」、と問いかけてきた。この孫は、ついこの間も、「おばあちゃんがこどもだった時戦争だったんでしょ?」と急に言う。「そうだよ。日本はアメリカと戦って負けたんだ」と、婆さんがいうと、孫は、長いまつげの目を伏せて、困ったような表情をした。婆さんはしまったと思って、すぐに「アメリカだけじゃないよ、世界中の「大きな国を相手にたたかっていたんだ」と言いなおした。孫にとって、お父さんの国とお母さんの国が戦っていた、と聞くのは、お父さんとお母さんがけんかしている、のと同じように聞こえてつらかったのにちがいない。7歳の子供がどこまで戦争の意味を理解できるのか、婆さんは、孫に聞かれるたびに、どうはなしたらよいのか、困ってしまう。
先月茨城県の妹から送ってもらったカボチャを切ったら、大きな種がたくさんとれた。結構な量なので、捨てるに忍びがたく、洗ってお皿に広げてほしておいた。今朝それをフライパンで煎って、テーブルの上においておいた。朝一番に起きてきた7歳の孫がそれを見つけて、「ばあちゃん、これなに」と聞いた。
「これはかぼちゃの種で、おいしいんだよ。皮をむいて、こうやってたべるんだ」と言っているうちに、ばあちゃんの子供のころの話をするはめになった。
「戦争が終わるころはね、日本には食べるものがなにもなかったんだよ。みんなおなかがすいていた。たべものがなくて病気になったり死んだ人も大勢いたんだよ」
「えーっ、おばあちゃんも?」
「ばあちゃんのとこはね、ひいばあちゃんが、家の裏に畑をかりて、いろんなお野菜を作っていたから、大丈夫だった。カボチャやさつまいも、とまとにきゅうり、なすとかね。カボチャの種はその時食べて覚えていたんだ。サツマイモのつるもたべたよ。それからひまわりの種もね。みんなおいしかった。どう、かぼちゃの種、おいしい?」
「うんおいしい、ゆりかだいすき」
といって、朝ごはんまえに種をつまようじでこそげとってたべる。たちまちテーブルの上は皮のかけらが散らばって、広がってしまった。
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by babamama_123 | 2009-08-14 10:48 | 日々の記録 | Comments(0)

ねずみはなび

孫たちが来る少しまえ、素朴な感じのする挿絵の入った童話集を見つけた。ページをめくると、ひらがなばかりがならんでいる。お話は1号室から3号室にまとめられていて、どのお部屋の内容も、なつかしいにおいが漂って、婆さんが子供だったころを思い出す。
小学校1年生の3学期、婆さんは3日はしかにかかって学校を1週間休んだ。その時、父がお隣のお姉さんに頼んで数冊の本をかってくれた。その中の1冊がこんな感じだったように思う。終戦直後のことで、本やさんはまだなかった。お隣のお姉さんが出版社に勤めていると母から聞いたのだろう。今思うと、その出版社は福音館ではないかと思う。お姉さんはクリスチャンで、年のはなれた末の妹は婆さんの同級生だった。お姉さんの薦めで、それからしばらくして、その妹と水道橋にある教会の日曜学校に電車に乗って通うことになった。お隣はおとううさまが子爵だとか。同級生はお雛様のような顔で、1年生の時は学習院に通っていた。お父様は病気で亡くなられていたので、お姉さんが生計を立てていたのだと思う。妹と、お父さんの呼び方で論争したことまでおもいだしてしまった。学習院の赤い線の入ったセーラー服を着た彼女は、”おたあさま”というんだとゆずらなかった。
 婆さんの家と彼女の家は2階建ての長屋で、借家だった。遊びに屋根ずたいに行き来した。借家はL字型の路地をはさんで平屋1棟建てなど20軒ばかりならんでいた。その路地に彼女と私を含めて同級生が5人(男1名)いた。ここに16歳まで住んでいた。もうとうになくなっているだろうけれど、婆さんの子供時代がぎっしりつまっている場所である。みんな今年70歳になる。元気でいるだろうか。
 ちなみに1ごうしつには、たろうとうぐいす、でんしゃにのったちょうちょ、・・・ねずみ花火の10のお話がある。挿絵は茂田井武、カラーは背表紙だけ。
今年2年生になる孫が読んでいる。でも英語のほうがもっと読みやすいのだそうだ。
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by babamama_123 | 2009-08-13 00:32 | 読む | Comments(0)

まる

瀕死のわんこは、びっくるするほど元気になりました。毛が生えそろい、目にも張りとつやが出てマルチーズらしい顔になりつつあります。「まる!」と呼べば尻尾を振るし、「お座り!」と言えば、チョコンと座ります。散歩のときは、耳をパタパタさせて、リズミカルに歩きます。そんな姿を見るとかわいいなと思うのですが・・。毎朝4時になると、キャンキャン泣き始め、婆さんが出ていくまでなきやまない。ウンチ、しっこは小屋の周りにする。したがって猛烈に臭い。まる自信の臭いもあって、かわいいけれど、婆さんは、だっこができません。先週娘が病院に連れていき、臭いは皮膚についた黴菌のせいだと、薬をもらってきました。耳かき半分もない錠剤をもう4日飲ませていますが、きいているのか、ないのか。やっぱり臭いは強烈です。
幸い今は孫が日中散歩に連れ出して遊んでくれていますが、この先どこまでおつきあいできるか・・・。ワンちゃんはつづくたいへんだなあ・・・と思います。まるの散歩をしていると、通いなれた道なのに、マロンは途中で引いてしまいます。ちょっぴりやっかんでいるみたいでそれもかわいそううです。
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by babamama_123 | 2009-08-12 11:33 | うちの仔たち | Comments(0)

退院間近

じい様が入院してからもう2週間が過ぎました。
先週の金曜日、詰まった血管を広げる手術を受けました。後ろの首筋に通る太い2本の血管のうち、左側が切れていたようになっていたのが、左右同じ太さで血が流れるようになりました。足の付け根からカテーテルを入れて、風船を膨らませてひろげたのです。術前と術後の脳のCT写真フィルムを見せてもらいましたが、くびれがなくなってつながっていました。MRもCTもなかったころなら、じい様は今頃半身不随で動くこともできなかったでしょう。医学の進歩した現代に生きていて本当に幸運でした。毎日の点滴も昨日で終わり、退院を待つばかりです。婆さんの穏やかな生活も、近々終わることになります。また嵐の日々が始まるのかとおもっていたところ、じい様からメールでおもいがけない知らせがありました。じい様が懇意にしていた元同僚が今朝亡くなったとのこと。婆さんにも無縁な方ではないので、いささか考えるところがあります。彼はじい様とほぼ同年で、長いこと糖尿病を患い足を切断していたのでした。昔は兄弟のようなお付き合いだっただけに、じい様の心中はいかがなものかと思われます。
                       合掌

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by babamama_123 | 2009-08-11 15:53 | 日々の記録 | Comments(0)