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新規まきなおし

しばらく休んでいた絵の教室に行った。寒くなった頃から、なんとなくだらだらと怠けていたので、教室にでてきたものの、描きたいものが思い浮かばなかった。初心にもどってやりたいというと、先生は、石膏のお面を出してこられた。それを鉛筆デッサンすることになった。基準線がなかなかきまらないし、決めたつもりがずれてしまったり、四苦八苦した。
その日教室は、体験入学の女子の大学生と、もう長く通っているNさんの三人だった。Nさんは日本画で、蓮の花と、野菜の絵を2枚同時進行で描かれている。昨年、描きためて、二人展をしましょうと、話していた。すぐに頓挫にて、振り出しにもどってばかりいるわたしは、いつになったら、まともなものができるのかこころもとない。それでも、二人展をめざして頑張りましょうと言って励ましてくれた。頑張らなくっちゃ・・・

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この石膏、ちょっとうちの爺様ににているようで・・・。描きながら複雑な心境でした。(爺さん、このところこんあふうにいつも目をつぶっています。時には口を開けて・・・、お腹を突き出して・・・)
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by babamama_123 | 2010-05-23 12:49 | かく | Comments(2)

母の日・・・3

母を見舞った帰り、最終の新幹線に乗り、家に着くと12時に近かった。この日は朝5時起きで始発から3番目ののぞみにのったから、19時間も外出していたことになる。帰りの列車で少し眠ったけれど、家に着くと急に眠くなった。目が渋くなって、瞼があかない。渋い目で部屋を見ると、朝出かけた時のままだった。テーブルの上に朝のままの食器が2つ、広がった新聞紙。違うのは、郵便物と小さな荷物。夫が受け取ったのだろう。荷物は横浜の娘からだった。とりあえず開いてみると、幾重にも包装された中からあらわれたのは、小さなタジン鍋だった。蓋にシルクロードのラクダが描かれている。メッセージカードがはいってないけれど、これが今年の母の日のプレゼントだった。ありがとう。最近はやりの鍋で、欲しいと思っていたので、うれしいのだが・・・。私のキャリーバッグの中には、それより大きなタジン鍋が入っていた! 
実家に着くと、茨城県に住む妹が偶然母を訪ねてきて、タジン鍋を母に持ってきたのだった。ところが、母一人には大きすぎて使えない、というので、それならばと、私がもらってきてしまった。もらってから、どこに置こうかと、置き場がないのに気がついて困ったのだったが、いじましい気持ちが先立ってもってきてしまった。
昨日、私が電話する前に娘から電話があった。やはり母の日のプレゼントで、旦那さまのお母さんにも同じものを送ったという。私は正直に事情を話し、小さい方は大事に梱包しなおして、しまっておくと言った。
タジン鍋、お店でよくみかけるけれど、使ったことはない。ネットで調べて、野菜と豚肉の重ね蒸しを作ってみた。
オリーブオイルを敷き、白菜、しめじ、薄切りの豚肉、その上に人参ジュースの搾りかすをのせ
、お酒をふりかけ、塩コショウをして、15分ほど中火でむしてみた。非常においしいとはいいかねる。野菜をたくさんたべられていい、というところだろうか。写真は実家から持ち帰ったタジン鍋。

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by babamama_123 | 2010-05-11 16:37 | 食べる | Comments(0)

母の日・・・2

母を見舞った帰り、娘が、香辛料のお店を見たいというので、あめや横町に寄った。昔、昔,輸入品の化粧品やら、万年筆などを捜しに通ったことがある。日暮れ近くの横町はあいかわらずのひとごみだった。昔とちがうのは、色々なお国の人たちが、カップルで歩いていることだった。アジア系の人も多いように見える。ネットで調べた香辛料のお店はすぐに見つかった。娘は私の知らない香辛料を買いこんだ。それでもたりなくて、ビルの地下に入り、生の野菜類を買った。タイ料理に欠かせない野菜なのだという。
 翌日の母の日に、その野菜を使って、手作りのタイ料理を作った。それが娘の母の日のプレゼントだ、という。こくがあってとてもおいしかったが、半人前しかたべられない。おいしかったけれど、とても辛かった。
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by babamama_123 | 2010-05-11 16:00 | 歩く | Comments(0)

母の日・・1

私の退院の日が決まった頃、母が入院した、と妹からメールがきた。
年明けのころから母に胆石があることがわかり、体調が良くない、と聞いていた。母はもすぐ93歳になる。一人住まいで、日常生活はすべて自分でこなし、週1回は近くのお寺の書道教室に通い、筆を持って毎日の練習を欠かさないほど元気だった。庭の隅や2階のベランダに季節の野菜を育て、旬の野菜を食べるのを楽しんでもいた。その母が、私の入院中に熱を出し、痛みで苦しいと妹に訴えた。妹は急きょ病院に連れて行き、そのまま入院となった。胆石が原因だった。高齢で手術はできないということだった。
 母の家に行ったのは一昨年の暮れだった。昨年は夏から夫が入退院を繰り返して、盆も暮れの休みもなく顔を見に行くことはかなわなかった。夫の様子を見て、春には行くからね、と母や妹達に言った矢先、私の入院が決まった。病院から、私は心配ないと、母に電話を入れると、「お父さんに、助けてやってくれ」と、毎朝仏壇の前で手を会わせていたんだよ。」、といつになく張りのない声で言う。その電話の後のメールだった。退院してすぐにでも行きたかったが、2週間待って、母の日の前日、娘とお見舞いに行ってきた。
母はもう退院して家にいた。家に入るとソファーに座ってにこにこ迎えてくれた。ずいぶんやせてしまっていたが、会話もできるし、家の中を歩くこともできる。それでも食事などは妹が通って世話をしていた。
 私には3人の妹がいる。3人とも老齢になった。一番若い妹はこの春還暦を迎えた。すぐ下の妹は60代半ば、私の5歳下になる。私を除いて、皆近県に所帯をもっている。会うたびに母のこれからを話しても、具体的な案がでないまま今日にいたってしまった。
母の顔を見るだけ、と日帰りで来たので、妹と会うことはできても、話はできなかった。母の前では話すこともできない。帰り際、妹に母をお願いした。体調が整ったら私も介護まではできなくても、側で見守ろうと思っている

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by babamama_123 | 2010-05-11 12:05 | 日々の記録 | Comments(0)

術後一月

退院してから今日で10日になる。入院前と変わらない生活をしているけれど、まだどこかずれてしまったような、おかしな気分になる。時間の流れがよどんだような病院から、流れの早い川に放り込まれたような感じがして、アップアップするだけで10日が過ぎてしまった。入院している間は感じなかった時間の流れの速さに驚いた。
 外科に回されると聞いた時、開腹手術で、胃を全部取られると覚悟したけれど、そうではなく、内視鏡など機械による手術だった。胸の下に4か所小さな穴と、お臍の下に5センチほどの穴を開けて、そこから機械を入れて患部を切り取る。切り取られた患部は5センチの穴から引っ張り出すという。結局胃は半分近く残され、切り口はチタンのホチキスで止めてある、と伺った。切り取った胃の細胞検査の結果、癌は粘膜上にとどまり、リンパ層への転移は見られないという。98パーセント再発はないでしょうと言われた。初期のAランクの癌で、服用する薬も出ない。本当にラッキーだった。それにしても、人間ドックを受けなかったら、どうなったのだろう。胃が痛むとか、気分が悪くなるとか、何の症状もないのだから、癌があるなどと気がつかなかっただろう。厄介な病気だと思う。
 胃が半分になった分、今までのように食べられなくなった。先生は3月もすれば、ラーメン1人前食べられるようになったという患者さんもいますから、すぐ慣れます、というけれど、今は1カップのジュースを飲んだだけで、お腹が膨れて苦しくなる。ご飯は子供のお茶碗で半分くらい、おかずは普段の3口位、よく噛んで食べる。だいぶ慣れてきたけれど、初めのころは顎がいたくなった。少ししか食べないのに胸がつかえるくらいお腹がはって苦しい、けれど食べ足りない感じもする。いつも飢餓間と満腹感が同居しているようで、すっきりしない。
気がつくと、おいしいものを食べたい、とばかり思っている自分である。

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by babamama_123 | 2010-05-03 01:25 | Comments(3)