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人物デッサン

土曜日の夕方、絵の教室で人物デッサンがありました。在校生(美大受験生)のための講座で、5時半から8時ちかくまで。教室は高校生や浪人生で満杯です。3時から、8時ちかくまで、5時間で1マイ描き上げます。始めに、B3位いの大き目の紙に鉛筆1本でかきあげること、紙の中心に人物の中心がくるように、全身をバランスよく描くこと、と講義がありました。モデルは元教室の生徒で現在美大生です。
一生懸命かいたのですが、2時間過ぎた頃、腕がだるくなるは、目がしょぼしょぼするは、疲れが出始めました。いい加減のところで止めてもいいですよ、との先生の言葉に甘えて、後半の半ばで退散してしまいました。若い人のエネルギーにはかないません。老いを感じてしまいました。

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by babamama_123 | 2010-06-27 15:11 | かく | Comments(0)

パイナップル

パイナップルとかぼちゃを2週刊かかって仕上げました。パイナップルを描くのはは本当に難しい。皮の模様に規則性がある、と先生はいわれるのですが・・・ 私には、規則があるようで、しかしよくみれば微妙にずれたり形が違っていて、描いているうちに、どこをかいているのかもわからなくなってきます。1回目は模様がはっきり見えていたのですが、1週間たって2回目に見ると、皮の色が少しぼやけてきて、いよいよわからなくなりました。とりあえず、描き上げたのですが。今度スーパーでパイナップルをみかけたら勝手来てまた挑戦しようと思います。
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by babamama_123 | 2010-06-22 11:40 | かく | Comments(0)

魚やさんに鮎が出回る季節になった。日曜の朝、家の前にお隣の車が止まって、ご主人と息子さんが出かけるのを見た。隣のご主人の趣味は鮎釣りと、花作りらしい。この時期になると、毎週休日に鮎釣りに出かける。たくさんつれたと思しき時には我が家にも鮎が配られる。でかけるとき、今晩のおかずはおしかしたら、と秘かに期待したとおり、夕方奥さんがいきのいい鮎を持ってきて下さった。が大漁ではなかったらしい。由良川の鮎だけど、今年は小さくて、と言って下さった発砲スチロールのトレイには、5匹の鮎が行儀よくならんでいた。小さいけれど目がぴかっと光って生きのいい鮎だった。
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by babamama_123 | 2010-06-21 16:38 | かく | Comments(0)

雨の日は

爺ちゃんも、マロンも、雨の日は、どうにも眠いのです。爺ちゃんとひと眠りしたあとは、婆ちゃんのお蕎麦で又ひたすら眠ります。マルは、お姉さんに先週サマーカットしてもらいました。爺さんにスケルトン、と言われて、お姉さんは洋服を着せました。ぶかぶかです。スケルトンて、骸骨の英語なんですね。
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by babamama_123 | 2010-06-18 16:21 | うちの仔たち | Comments(0)

病院食

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by babamama_123 | 2010-06-16 12:56 | かく | Comments(0)

病棟の春ー5

「今、ナースセンターにTさんのあこがれの先生がいらしてるわよ」
Hんの声がして、Tさんが病室を病室を出て行った。
私は、「あこがれの先生」に興味を覚えて、Hさんに先生の名前を早速聞いた。
「M先生とおっしゃるのよ。」
TさんとHさんの執刀医で、とてもハンサムでTさんは夢中なのだという。
M先生の苗字が素敵だった。私も会ってみたいと思った。数分して戻ってきたTさんは、握手してもらってきた、と喜んでいる。その後そっとナースセンターを覗いてみたが、白衣の後ろ姿が数人見えて、どれがM先生なのかわからなかった。
 朝の回診が始まった。2,3人の看護師と、男女の医師二人がTさんとHさんの診察にきた。私は男の先生のお顔を横目で負った。中背で、40歳前後くらいの若い先生だった。低い声で、患者の様子を丁寧に聞いている。ハンサムといえば、そうなのかもしれないが、私の担当医のS先生も、感じが似ている。S先生は、TさんやHさんの診察中に、単身、ふらっと現れて、「どうです?痛みはありませんか。」と笑顔で言い、お腹を診て、「腸はちゃんと動いてます」といい、又ふらっと消える。HさんやTさんにくらべると、実にあっさりしたものだった。
回診の後、「黒目が大きくて、素敵でしょう」とTさんが言った。それから、M先生に限らず、この病院の外科医はみんな若くて、いい顔をしている。厳しいしごとがそういう顔をつくるのだろう、などと話した。
しばらくして、食事が始まった。重湯から、三分粥、5分粥、ご飯となる。小さなお茶碗に入った重湯も全部は食べられない。半分もたべると、お腹がつかえるほど苦しくなった。これから半年から1年近く、普通の食事はできない。手術前にもっとおいしいものを食べておけばよかった、後悔した。楽しみが一つずつなくなっていくと思うと悲しくなる。
私が五分粥になったころ、Tさんも重湯の食事が始まった。その夕方、「もうええねん」と、Tさんが私のベッド横に来て言った。Tさんは、しばしば明るい私のベッドサイドに来ては窓の外を眺め、しゃべる。ベッドの上も窓の外も西日に照らされてまぶしいくらいに明るい。
「さっき、おもいっきりぎょうさんおししいお寿司をたべたんよ。その後のデザートはケーキがどさり・・」
「もうひとつたべよう思うた時に目が覚めた」
Tさんはお寿司とジェーきを食べた夢を見たと言った。夢の中で十分に味わったという。
病院の食事も十分おいしい。とりわけお米はとてもおいしい。十分満足してい、お寿司と聞いて、自分も急に食べたくなった。回転寿司ではなく、具の厚いお寿司屋さんのお寿司を食べたくなった。入院する前に食べておけばよかった。
 私は朝の食事が終わると、昼は何か出るのか、昼が終われば、夜の食事は何か、と頭の中は食事のことけしかないのだった。病院の食事だけが楽しみだった。
 おかゆからご飯に変わった時、S先生が回診に来て、「もういつでも退院できますよ。土曜日にしますか」と言った。今退院すれば、その日から自分で食事から、家事全部をしなければならない。自宅でしばらくの間でも療養するなんてことはできない。夫も猫も犬も手ぐすね引いて私の退院を待っている。頼みの娘は働き出て家にいない。家の者達の餌やりは私の務めだとみんなあ思っている。帰ればすぐ動かなくてはならないから、と退院を数日延ばしてもらった。が、病室を変わることになった。
 病室が変わる日、Hさんは外泊が許されて、自宅に帰ることになった。Tさんの向かいのベッドは、手術で空いている。Tさんが一人残された。
 4月半ば過ぎ、病棟脇の桜は葉桜になり、遠くの八重桜はピンクから紫に変わっていた。私は明るい病室から、別棟の産科病棟に移った。廊下側の暗いコーナーだった。
そこに3晩いて、退院した。風の強い晴天だった。日差しが強く、春は名残もなかった。

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by babamama_123 | 2010-06-15 13:19 | かく | Comments(0)

病棟の春ー4

個室3日目の朝、昨日飲んだ解熱剤が効いてほぼ平熱に戻った。検温に来た看護師にあとどのくらい個室に居るのか聞くと、すぐに一般ベッドを探してくれた。昼過ぎ、大部屋にうつることが決まり、案内されて移動した。そこは、手術前にいた部屋で、しかも同じ場所だった。TさんもHさんもいた。4人部屋は私が入ると満室になった。
 一夜あけて窓の外を見ると、病棟の側の桜は、白く咲いていた。雨に洗われて濁りのない白さだった。遠くの桜の並木はピンクの色が濃くなった。しだれ桜ではなく八重咲きの桜かもしれない。曇り空の下で、桜も西山も、病院も、静かだった。私はしばらく外を眺めていた。おもうことは何もなかった。自分の気持ちも今までなかったほど静かだった。
 幾つの年も、春は私にとって、あわただしく、騒々しかった。京都に来て、街全体が桜色に染まるころは、それが反って気持ちを荒立たせることもあった。さらに、ずっと昔は、桜を見ると、入試の失敗で、私の春は鉛色だった。
 じっと眺めていると、いつになく時間の流れがゆるやかなように思えた。
 すっかり明るくなって、病棟の一日が始まった。検温、回診、配膳、と看護師の足音、台車の転がる音が廊下や病室にあふれた。窓の外の駐車場は外来に来た人の車で、埋まり始めた。
 私の食事はまだ始まっていない。みんなの朝食の時間が過ぎるころ、有料のTVを少し観て、持ち込んだ短編推理小説の字面を追って、半分とろっと眠っていた。

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by babamama_123 | 2010-06-13 11:38 | かく | Comments(0)

病棟の春ー3

気がつくと、集中治療室に寝かされていた。ベッドの周りは蛍光灯の明かりに照らされて夜の部屋のようだった。夫と娘の顔が近づいて、遠くなった。二人がいたらしいというこしか思い出せない。翌日、集中治療室から個室に移された。差額ベッド料1万円の部屋で、集中治療室の後1,2日は患者の希望にかかわらず、個室に入るのが病院の決まりだった。
 個室はトイレ、シャワー付きのゆったりした広さだった。一般病室と同じ5階ときいたけれど、どのあたりの部屋かわからない。部屋は明るいけれど、窓ガラスは曇りガラスで外は見えない。静かだった。
夜半、強い風と、雨音を聞いた。夜、一人きりの部屋で聞く風音は不気味だった。この風で、花は全部散ってしまっただろう。そして、この数年の間に散ってしまった人達のことを思い出して、寂しく、暗い気持ちになった。
 三月前の冬、夫の親しくしていた同級生が亡くなった。春先に叔父が亡くなった。二人とも癌だった。5年前くらいから、夫の友人、知人が癌で次々になくなっていた。自分もそうなるのだろうか。入院する前に、身辺整理をおもいたったが、あまりの煩雑さに、何もしないできたことが悔やまれた。遺書のようなものも書いておくべきだった。
 翌朝は気分よく目が覚めた。雨はあがったらしい。38度の熱にもかかわらず、気分がとてもいいのだった。昨夜は何を恐れていたのだろう。この先それほど長くはないだろうけれど、今日、明日死ぬ気配もない。癌が再発したとしても、長くは続かないだろう。痛みは必ず終わる・・。考えたところでどうなるものでもない。そんなことより、いつまで、この部屋に寝かされるのだろうと、差額ベッド料の額を思ってあせった。

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by babamama_123 | 2010-06-11 11:49 | かく | Comments(0)

病棟の春ー2

その夜は、何年ぶりかによく眠った。目を覚ますと窓が明るくなっていた。昨日までは、マロンに舐められ、耳をかじられて起こされ、渋い目をあければ窓の外は夜明け前で、空がようやく白み始めたところだった。隣のベッドも奥のベッドもカーテンに囲われて動きがない。そっと起きて窓のカーテンを少し開けると、西山は朝日を受けて小金色に輝いていた。窓の下は広い駐車場で、その向こうの道路を隔てて病院の寮がたっている。駐車場はからっぽで、道路を渡って来る人の姿も見えなかった。
洗顔は7時から、ということになっている。ベッドの上で目をつぶってしばらくすると、看護師の廊下を歩く足音がして、病院の空気が動き始めた。お茶が配られ、朝食が配られ、続いて担当医の回診が始まった。部屋はすっかり明るくなって、にぎやかになった。
 他の患者たちが朝食を終わったころ、私のところにも看護師が見えて、午後からの手術の準備を始めると、詳しい説明があった。午後一番に手術室に向かうから、今のベッドを明け渡さなければいけないという。入院に必要な衣類や、タオルなど一式全部をいったん家にひきあげなければならない。見晴らしのいいベッドが与えられてよかったと思ったのに、術後はどこの部屋に入るのかわからないと聞いてがっかりした。
昼に、夫と娘が来た。夫は三月前まで同じ病棟の3階に入院していた。丁度この部屋の真下あたりだったという。勝手しった我が家のように、看護師に大きな声で話しがら、あいかわらず楽しげでにぎやかだった。配偶者の病気を心配している気配も見えない。二人は手術がおわるまで、同じ階の食堂で待つことになっている。
 正午過ぎ、手術室に移動する、と知らせが入った。隣のベッドのHさんと、廊下側のTさんの、「頑張ってね!」、のエールに送られて、ベッドごと動かされた。廊下の白い天井が後ろに流れて、エレベーターに乗り、手術室の中に吸い込まれた。それから手術着に着替え、点滴の注射器を刺され、麻酔の薬を注射され、それから先は何もわからなくなった。

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by babamama_123 | 2010-06-09 14:57 | かく | Comments(0)

病棟の春-1

5月末、退院後初めての検診に行った。担当の外科医は、「どうですか」、と聞くだけだった。こちらも特に異常があったわけでもないので、変わりはないと答えるしかない。でもなんとなくものたりないので、2週間前に、急に心臓がばくばくして、汗がどっと出て、手足が震えて立っていられなくなったことがあった、急いで手近にあった飴をなめたら、おさまった、と訴えた。「あー、それは典型的なダンピング症状ですね。適切な処置をとれば問題ありません。食後2時間くらいして、インシュリンがどっとでて低血糖になることがあります。」といって、又黙る。手術前に狭心症と診断されたのと、大腸ポリーブがあると言われたのはどうなのか、と不安材料を見つけて聞いてみた。先生は、「アーそうでしたか。手術が終わると忘れてしまうんですよ」と厚いカルテをめくって、「心臓は透視で問題ありません。忘れてください。ポリーブは、7ミリありますからきらなければいけませんねぇ。とりますか?」と言う。そのつもりはないので、そのうちにと逃げた。血液検査の結果を観て、「健康です」と言われ、次回の検診は10月と、胃カメラとエコーの予約を取って、検診は終わった。待つこと2時間半、診察は5分。私は、本当に癌患者なんだろうか、こんなんでいいのだろうか、と不安になった。診察室を出て渡された血液検査票をみて、そこにM先生の姓をみつけて、この春の入院生活を思い出した。
  
 4月に入っても寒くて、暖房が必要だった。寒さのおかげで、さくらがあちこちで散らずに咲いている。その花を、最後になるかもしれないのに、天気が悪くて、ゆっくりめでることもできずに入院することになった。
4月5日朝、昨夜から飲まず食わずで桂病院に入った。入院手続きを済ませると、看護師が来て、消化器系の外科病棟5階の4人部屋に案内された。私のベッドは、窓際で、全面ガラスの窓の向こうに西山と、山肌に張り付くよう建てられた介護付きの白いマンションが見える。西山は新緑で、その中にピンク色が少し見える。さくらなのか、つつじなのか、遠くてわからない。マンションに向かう道沿いに濃いピンクの桜並木が見えた。窓の下にも1本桜の木があって丁度満開になるところだった。
部屋は私が入ってしばらくすると、もう一人入って満室になった。荷物を置いて、ほっとしていると、廊下側のベッドのTさんが声をかけてきた。それから、窓側のベッドのHさんもカーテンを開けて顔をだした。それぞれ名載りをあげてよろしくと挨拶を交わした。Tさんは60代半ば過ぎ、Hさんは40代後半だろうか。今年高校生になった女の子と中学生の男の子のお母さんだという。Tさんは胃がんで、私の次の日に手術を受けることになっている。Hさんは手術が済んだばかりのようだった。どこを切ったの、と聞くと、膵臓と胃だという。くったくなく答えてくれたけれど、聞いた私の方がびっくりしてしまった。3人其々に、自分が癌になるなんて、思ってもみなかったと語り合った。Hさんのご主人は、先に病名を聞いて本人にはしらせないで欲しいと頼んだけど、結局告知されたのだという。患者と医師の信頼関係を考えて本人に事実を告げることになっているのよ、という。Tさんの知り合いの女性は、転んで膝を痛めて病院に行った所、膝の痛みは癌のせいで、余命8カ月と言われたのだとか。彼女は、この夏までの命だと、告げられて、身辺整理を始めた。そんな話をしてごごまでの時間はまたたくまに過ぎた。昼食の時間になって、私以外の人たちに食事が配られた。私は昨夜から飲まず食わずで、もう空腹をとおりこして食欲もわかなくなっていた。午後から、心電図、エコーなど検査を受けてまわることになっている。最後が胃カメラで、胃の切り取る場所に記しをつけることになっている。そのしるしを消さない為に、今日も飲まず食わずになる。

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by babamama_123 | 2010-06-07 13:24 | かく | Comments(2)