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終生ヒトのオスは飼わず

2週間以上前、図書館で見つけた、「終生ヒトのオスは飼わず」を読み終えた。著者は米原万里、既に故人である。米原万里は1950年生まれ、2006年に癌で56歳の若さで死去した。父親は共産主義者で、昭和24年衆議院選挙で鳥取県全県トップで当選した。ちなみに祖父は鳥取の山林地主で憲政会の貴族院議員であった。以来父親は共産党員として活動をする。母親は東京浅草生まれ、現在のお茶の水女子大を出て理科の先生になる。通信教育関係の仕事をするアルバイト先で父親と出会い、結婚、万里、ユリの2女をもうける。万里が9歳の時米原一家はチェコスロバキアへ。父の任期(「平和と社会主義の諸問題」編集局の編集委員として着任)終了までの5年間プラハでくらす。そこで万里はロシヤ語に堪能となる。帰国して、東京外大ロシア語学科卒業、東大大学院を出てロシア語通訳として活躍する。辛口のエッセイストとしても知られている。妹のユリさんは、料理研究家であり、作家井上やすしの(2度目の)奥さんである。
 この本では、万里さんのそうした経歴や、父、祖父、母のこともかかれているが、それ以上に万里さんと犬や猫達のこと、出会いと別れ、日々の暮らしのこと等が詳しく描かれている。中でも犬のゲンのことは胸にせまるものがあった。猫達の親がわりのようなよくできたゲンは、雷が大の苦手だった。雷が鳴ると普段は決して入ろうとしない家のなかに逃げ込んで来る。万里さんが仕事で外出中の時、悲劇が起った。雷がなって、家に逃げ込むことができず、パニックになったゲンは塀を飛び越えて脱出して、行方不明になった。10年間手を尽くしてさがしまわったが、結局みつからなかった。よく似た犬がいるという知らせに保健所にいけば、容姿はにていても年も性格もまるで違う犬だった。引き取り手がないと殺処分されると聞いて連れて帰り飼うことになる。そうした犬が2匹にもなった。猫はいつも5,6ひき家の中にいる。猫について興味があったのは、ロシヤ語同時通訳の仕事でのことがかかれている箇所だった。
 それは脳内血管に関する発表の同時通訳だった。
 猫の脳の構造は驚くほど人間のそれに似ているそうだ。人間の脳から前頭葉を取り除いた脳がそのまま猫の脳なのだとか。そのため、人間の大脳生理学は、猫のおかげで長足の進歩を遂げた。つまりそれだけ多くの猫達の脳が実験に供されたというこである。
 スクリーンのスライド映像をさしながら、ロシア人の研究者は「ほら、これがあわれな猫です。ごく普通のロシヤ猫です」という。ロシアのキジトラ猫が板の上に磔にされて、頭にいくつもの電極が取りつけられた映像だった。万里さんの家にいる龍馬という名のロシアのキジトラにそっくりあ猫だった。彼女は、通訳の仕事を終えると逃げるように開場を後にして家に帰り龍馬をだきしめた。
 読み終えてわからないことが残った。写真をみるとチャーミングでかわいらしい万里さんが、なぜヒトのオスを飼わないのか、ヒトのオスに関してひとことも書かれていないのである。なんとなくわkるけれど、知りたかった。

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by babamama_123 | 2010-08-29 10:58 | 読む | Comments(2)

ツクツクボウシ

今日も暑苦しい一日だった。それでも夕方になると、雲が寄ってきて雷鳴も遠くに聞こえる。今にも雨が来そうで買い物帰りの足をいそがせたが、パラッとも降らなかった。昨日も同じ頃買い物帰りに雷鳴を聞いたが、その時は大粒の雨がつかの間パラパラと落ちてきて気持ちよかった。今日は期待外れで、がっかりだった。
この連日の猛暑、今年は異常だというけれど、京都の夏はずっとそうだった。毎日新聞に載る最高気温を身て、京都だけが36度を超えていたのを覚えている。8月になると京都にいる自分が呪われているような気がしたものだった。昨年の涼しさが特別だったのだ。それでも昨年までは、ぶうぶう言いながらも暑さをやり過ごせたけれど、今年はもう死に体で、一日中ダラーっとしている。外に出るのは近くのスーパーに買い物に行く時だけ。夏休み中に描き上げようと教室から持ち帰った油彩画も一切手を加えないまま、又教室に運んだ。本もほとんど読まず、我ながらよくまあ何もしないでいられると思う。
買い物の帰り道、広場に子供達があつまっているのを見た。地蔵盆だった。地蔵盆の頃には暑さも衰えて、風の流れに冷たい一筋を感じたものなのに、夜になっても眠れない暑さがまだ続いている。もう耐えられそうにないと思うのは年のせいだろうか。
 一昨日から家の横に植わっているきんもくせいからツクツクボウシの声が聞こえた。
「オーシンツクツク、オーシンツクツク、ウイヨース、ウイヨース、ジー」
この蝉が鳴き始めるともう夏は終りなのだが・・・。
  ツクツクボウシの声を聞いて、ミンミンゼミの声を聞いていなかったことに気がついた。子供のころミーんミーんという蝉の声が神社や公園の森でうるさいくらいだった。不思議に思ってネットで調べたら、ミンミンゼミは猛暑に弱く、関西にはいないのだとか。
 ツクツクボウシも鳴いている。はやくすずしくな~れ。

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by babamama_123 | 2010-08-25 00:05 | 日々の記録 | Comments(4)

私の終戦の日-1

今日は第二次世界大戦の終戦の日である。この日になると、今から65年前の今日を思い出す。私は5歳と10カ月だった。
 あの日、私は奥羽山地の麦畑で、イナゴとりをしていた。自分の周りは黄金色に輝く麦の穂がひろがっていて、雲ひとつない青い空が広がっていた。イナゴは大事な蛋白源だった。煎ってお醤油をからめて食べるのだ。
 腰にぶら下げた小さな布袋がイナゴで脹れたので、畑から道に出ると、大勢の大人達が歩いてくるのにであった。歩きながらなにかひそひそ話していた。その中に母もいた。母達は大事な放送があるというので村の集会場にいっていたのだ。玉音放送を聞きに行ったのだということはずっとあとになって知った。その時、母は何を言っているのか聞き取れなかった、と言った。
 その1年前1944年の夏、B29は東隣の新宿や中野にも飛来した。私の家はL字型の路地の両側にならぶ借家の中にあった。2棟続きの2階屋で、家の北側には麦畑が広がり、その向こうは御屋敷がならんでいた。中央線中野駅と東中野駅の中間のところだった。その麦畑の上を日本の飛行機が煙を出しながら飛んでいくのを覚えている。それを見ていたお隣のおじさんが、「日本は負ける。無駄な戦いをして・・」というようなことを同じく見ていた父に言った時、「お国のために戦っているのですよ」と窘めたのだとか、後で母から聞いた。もう誰が見ても戦局は日本に不利だった。毎日のように灰色のかまぼこ型をしたラジオが警戒警報のサイレンが鳴らして、B29の飛来をつげていた。借家の中には防空ごはなかった。サイレンが昼間なら、家の中で爆音が遠のくまで息をひそめる。夜は暗幕をはって燈火がもれるのを防いで飛行機が飛び去るのを待った。ある日の晩、私は北側の窓にかけた暗幕を指先で開けて外を見た。麦畑の上をサーチライトが交叉して空を動いていた。ライトの届かない暗い空の中に赤や黄色、青の光が点滅して飛んでいくのを見て、私は、「わーきれい!」と言って、母に叱られたのをぼんやり覚えている。それでもまだ、家の周りに爆弾が落ちた、ということはなかった。けれど、すぐ隣の新宿あたりが焼けていた。中野も危ない状態だった。
 家には中風(痴呆)の祖母と、生まれたばかり(8月5日生まれ)の妹と私がいた。父は海軍省軍属で平日は沼津で教錬にあたっていた。防空ごもない家に母独りで老母と幼子を守りきれないと、翌年の春、父の遠い親戚を頼って花巻に疎開することになり、上野駅に向かった。
 上野駅のプラットフォームはカーキ色だったのを覚えている。機関車もカーキ色であふれていた。乗降口まで人があふれていた。ラッシュアワーの電車以上だった。その列車に、父は私を窓から中に入れたのだ。後から人ごみにを押しのけてきた家族に向かって、
「おばあちゃん、ここあいてるよ!」と私が叫んだと、と母がいうのだ。「どこもあいてないのに、あんたがそういうものだから、おじさんが、しょうがないな~と苦笑いしながら席を譲ってくれたのよ。ありがたかったけれど、ものすごく恥ずかしかった」と、言われたが、そんなことは記憶にない。
 その日の上野駅が特別混雑していたのは東京大空襲の日か翌日だったらしい。
 父は私達を花巻まで送り届けて帰った。終戦の翌年の春中野に帰るまで2,3回来ただけだった。自転車の荷台にのって父と買い物に行ったこと、一家で温泉に行ったことを思い出す。
 疎開先の生活は楽ではなかった。住まいは納屋で、土間には馬がいた。母は農家の仕事を手伝いながら、不足の者は着物と交換しながらやりくりしていた。婆子育ちでわがままだった私が、ある日なにをしたのか、母に叱られて、馬の柵にくくりつけられた。馬の大きな顔が近づいてきて、鼻が私の顔に触れたのをしっかり覚えている。その馬の背にのったこともあったので、恐いい思いをした記憶はない。
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by babamama_123 | 2010-08-16 00:55 | 日々の記録 | Comments(0)

遺影

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2010年6月撮影。サマーカットのまる。
8月13日午前11時30分、「まる」が急逝しました。
我が家にきてから、1年1カ月、丸の享年はわかりません。死因は多分心臓病と暑さに寄る」衰弱だろうと思います。
 先月動物病院に言った時、先生はそれでも1年前のことを覚えていてくださり、よく持ったと言ってくださいました。心臓病は年齢のこともあり、回復することはないだろうとも言われました。小型犬は心臓がおかしくなることが多いのだとか。
今月に入って食欲がなく、たべたり食べなかったりをくりかえしていました。ぜいぜいする発作はあいかわらずです。昨夜はめずらしくきれいに完食しました。朝5時ごろ元気に吠えるので、餌をあたえたところ、一口もたべません。何が不服なのかしきりに吠えます。水を取り替えても飲みません。そのうちおとなしくなったのですが、お腹が膨れて、波打っています。娘が出勤前の10分間抱いてあげると尻尾を振って喜んでいました。娘が出勤したあと、シートに横になったりたちあがったり、息苦しそうなので、病院に連れて行こうかと電話をすると、盆休み中でした。
しばらくして爺さんに呼ばれていくと、まるはもう息をしていませんでした。爺さんのはなしだと、立ち上がって後ろ向きになり、サークルにあごを出してそのまま静かに逝ってしまったということです。少しまえ、黒い瞳で婆さんをじっとみていたのを思い、さぞ苦しかったのだろうと、つらくなります。
 今日は、お盆の最中、仏滅で、しかも13日の金曜日です。 呼ばれていったのでしょう。あの世では
捨てられることもないでしょう。きっとみんな、かわいがってくれるでしょう。 

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by babamama_123 | 2010-08-13 17:24 | 日々の記録 | Comments(6)

育児手当

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朝から暑いのに、マロンは亭主の定位置に長々と寝そべって惰眠を貪っている。先週家の中に閉じ込められた記憶がまだ残っているのか、朝のパトロールを早々と切り上げて、爺婆の姿が見える所にやってくる。たった1日だけだったのに、よほど寂しい思いをしたらしい。マルもいるのに、人がいないと、ものすごい声をだして呼ぶ。どうせなにもしらずに眠り続ける癖に。
「こいつなにかんがえてるんやろ。いいかげんなやっちゃ。そこ、どけ!」と爺がマロンをこづいたりしてもびくともしない。婆は内心、同類じゃないか、とつぶやきながら、でも猫の方が断然可愛いと思う。マロンなら何をしてもかわいい。「猫はいい。お金の心配もないし、老後のあれこれの心配も、お金のやりくりの心配もないし、それに立身出世も、子育ての苦労もないしね・・」と婆があてこすりを言うと、「育児手当なんかいらんな」と爺が言った。爺は人のいうことなど聞いてなく、TVの国会中継を見ていたのだった。
 育児手当なんかいらない、とはどういう根拠でいうのだろう。
その昔、3人目の子供には上の子が18歳になるまで月5000円支給された。もちろん親の所得制限つきだった。うちの末娘が1歳か2歳の頃だったと思う。私は急いで手続きをして、5000円を10年余り頂戴した。その話を会社でしたら、笑われたと、その時父親は言った。おれの所得が低いと言ってってるようなもんだ、恥さらしだというのだ。三女が中学生になるころ所得制限にひっかかって支給はなくなった。
私はそのお金を3女名義の通帳を作り律儀に毎月貯蓄して、高校卒業後の学資の一部にあてた。とても助かったのを覚えている。
今子供の数が少なくなっている。子供は国の宝だとも言われる。ならば、国の育児手当は当然だはないかと思う一方、すべての子供に一律同額支給するというは無理だしおかしいとも思う。やはり所得制限つきが必要だろう。所得の少ない家庭や、片親で働くこともままならない親の子供には、手厚い育児手当が必要だ。
「たった5000円でも、助かったわよ。あなたの浪費したお金の10分の1でもね」
と婆は又あてこすった。所得制限つきという条件は必要だとおもうけれど、所得が高くても、育児に関心のない親の家庭はどうなるのだろう、ちょっとまずいなと思った。

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by babamama_123 | 2010-08-09 16:39 | 日々の記録 | Comments(0)

けなげ

久しぶりに図書館に行ってきた。借りていた本の貸し出し期限が来て、返却の督促メールにあわててきたのだ。日曜の昼過ぎ、読書コーナーは中高年の男性で空いた椅子はわずか。いそいで席を取り、残りの20ページ余りを読んで返却した。
借りていたのは、荻野アンナ著 「けなげ」である。アメリカ人の父と日本人の母と私のことが描かれている。多分実話なのだと思う。父と母の軋轢、母と私の軋轢がテンポの速い文章で、深刻なのにユーモラスに描かれていた。”私”は現在50代半ば、で独身。K大学で教えている。80代の父親が倒れて生死の間をさまようことになった。父親は英語しか話せ(さ)ない。画家の母親は日本語だけ。娘は、勤務の傍ら独りで医者とのやりとり、介護に悪戦苦闘する。次第に追い詰められて、母親に子供を持てなくなったのは、母が結婚の邪魔をしたからだ、などと、当たり散らすようになる。うつ病になったのだ。
 読んでいて、自分の30代、40代の頃を思い出し、アラフォーの娘を思った。40は不惑の年というけれど、それは男のいうことで、女はいくつになっても惑いっぱなしなのだという。私も、40代、50代と惑ってばかりいたけれど、惑いっぱなし、ということはない。さらに年をかさねれば、惑い疲れて、あきらめの境地に達する。その時独り身だったとしても嘆くことはない。相手次第では、独りの方がずっと穏やかでいられることもあるからだ。
身につまされるお話でした。

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by babamama_123 | 2010-08-09 15:51 | 読む | Comments(1)

八島湿原

エゾカワラナデシコ
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シシウド
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コバギボウシ
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ハナショウブ
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ヨツバヒヨドリ
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コオニユリ
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ニッコウキスゲ
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by babamama_123 | 2010-08-04 17:08 | 歩く | Comments(3)

霧ヶ峰~七島八島湿原

二日目は霧ヶ峰高原の八島湿原を経由して諏訪に出て、中津川まで下道で帰りました。油断をすると、左によって側溝にはまりそうになるので目をはなせません。正直怖かった・・・
昨年は霧ヶ峰の手前にある車山に登ったのでした。その7日後、夫は脳梗塞を起こし、カテーテル手術を受け、続いて心筋梗塞で4分間あの世へ行くという事件がありました。丁度1年前になります。夫は脚の筋力が衰えて(口の筋力は達者です)、平坦な道ですら長く歩けません。前日の白駒池は結構坂道だったのでこりたのか、霧ヶ峰高原も八島湿原も入口を少し徘徊して後は車でお留守番となりました。
その日もとてもいい天気で陽射しがきつく暑かったのですが、草原をわたる風はさすがに涼しく、歩いていて汗をかくほどではありませんでした。
例年ならニッコウキスゲの盛りなのですが、群落はなく、八島湿原で1本みつけただけでした。同宿したご婦人たちの話だと車山にも1本しかなかったとか。どうなってしまたのでしょう。マツムシソウが数本咲いていたと話していましたが、みつかりませんでした。
かれこれ十数年前、まだ(今より)若かったころ、友人たち4人で霧ヶ峰高原にテントを張ったことがありました。テントの周りにマツムシソウがびっしりさいていました。8月の下旬でした。まだ少し早いのかもしれません。風に揺れる青い花、とってもかわいかった・・・。

ラストラダの室内
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ラストラダ前庭の白樺
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八島湿原の花
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コウリンカ
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by babamama_123 | 2010-08-04 16:57 | 歩く | Comments(3)

信州蓼科へ

信州蓼科へ2泊3日で行ってきました。
宿泊は昨年と同じ元勤務先の保養所”ラ・ストラダ”(道)です。昨年は7月の中旬で、娘の家族も一緒でおおぜいでしたが、今度は老夫婦二人となりました。娘も同行するはずだったのが、前日になって仕事の都合でこれなくなってしまったのです。茅野にある保養所までは夫が運転することになりました。危険きわまる運転で、片道6時間あまり、居眠りどころではなく注意しているうちに、喉がかれてしまいました・・・。とわいえ、昨年に続いて信州の高原を歩けたことはなによりの幸せと感じました。
1日目は北八ヶ岳の白駒の池に行きました。近くに白樺の林があると聞いたからです。保養所から車で1時間弱。標高2000メートルにある自然の池です。駐車場から歩いて15分、苔を敷きつめた林の中を下っていきます。土曜日で観光客が結構大勢いましたが、静かで神秘的な池でした。
白樺林はざんねんながらみつかりませんでした。

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by babamama_123 | 2010-08-04 16:26 | 歩く | Comments(0)