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やっぱり止めとこ

秋の銅版画講座が始まった。最近とても気力が衰えたように思う。もともと容量の小さいバッテリーの中身が切れかかっているのだ。やって見たい、と思う気持ちはあるけれど、それでどうななるの、と自分でその気を否定しまう。趣味はいろいろあるけれど、好きなだけで、何年やっても自己満足の域にも至らない。ものすごい贅沢、無駄をしているようで気が咎める。いっそなにもかも辞めてしまおうか、と思う時がある。そうしたら、自分はどうなるのだろう。きっと何もしないで、じわじわと老い衰えていくだけなんだろう。それはかなわない。先週充電だけでもしておこうと、画講座の申し込みをしてきたのだった。今日は2階目である。
この1週間、モチーフを考えたけれど、鉛筆をもつとイメージが絵にならない。結局思うだけで今日になってしまった。それでも行くつもりでいた。それが台風接近である。大したことないのかもと準備していたら、雨が降り出して、急に脚が鈍ってしまった。風も出てきた。こんなでも、講師の先生方は遠くからこられるのだろうか。ちょっと胸が咎める。でもやっぱり止めておこう。

 この間、さるところで、とてもいい詩に出会った。私の座右の銘にしよう。

  愛が消える
   
   あいつが 私を悲しませる
   あいつが 私を気づつける
   あいつが 私を打ちのめす

   あいつのせいにしちると
   私はあいつに閉じ込められる
   私が誰かを憎むとき
   私は私を憎んでいる

   だれかがあなたをうらむとき
   だれかは世界をうらんでいる
   憎むほど憎しみはふくらんでいく
   うらむほど愛は消えていく


 おだやかに

   追い求めると
   楽しみには哀しみしか残らない
   甘えると
   苦しみはいつまでもうずく

   失うもののない心には
   喜びが流れこんでくる
   怒りが閉ざす
   こころを閉ざす
   うぬぼれがしばる
   こころをしばる
   おだやかにあれ こころよ
   のびやかに しなやかに はれやかに


        谷川俊太郎 「すこやかに おだやかに しなやかに」 から
        (「ダンマ パダ」 トマス バイロムの英訳を日本語役にしたもの)
 そ

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by babamama_123 | 2012-09-30 12:38 | 日々の記録 | Comments(0)

絵画教室にて

今月最後にして2度目めの絵画教室の日、重い腰をもちあげて教室に向かった。歩きながら、雑多な思いが交錯する。何を描こうか、描きたいものもないのに通うのは贅沢ではないか、もう10月に近いのになんだこの暑さは、そういえば金木犀が匂う頃なのに・・・。時々思わず愚痴が声になって出てしまい、ぎょっとして辺りを見回す。私この頃本当に変、診療内科にかかったほうがいいのかも。すっかりあぶないお婆さんになってしまった。
駅西口ロータリーの前までくると、人が大勢列をなしていた。列の先頭はミスタードーナッツの入り口だった。今日明日はドーナッツ半額、私も教室の行きがけに買うつもりだったがあきらめた。
 丁度子供の講座が終わる時間に教室についた。子供達とお迎えの親たちで教室はごったがえしていた。大軍が去ると、私一人が残された。描くものがないと言うと、沖谷先生は、前の作品にもう少し手をいれたらどうかと言われる。カボチャとほうずきの油彩画で自分では終ったつもりでいた。気画がのらなかったけれど、不具合を指摘されたほうずきに筋を描き、背景を少し暗くしてみた。そんなときに、もう一人の受講生NAOさんが現れた。畑に行って遅くなったのだとか。そして収穫したばかりの野菜をたくさん広げて私に下さった。NAOさんがその野菜を描くというので、私も茄子とおくらを1つずつ描くことにした。茄子は難しいですね、とNAOさんが言うと、先生は、それは1個2個描いただけではだめですよ。僕は30個以上描きました。もういやと思うのを超えて描くんです。やっと一つ描いた所で、その言葉、キリキリと胸に響きました。30個ね~、死ぬまでかかりそう。
頂いた茄子は、お味噌汁の具に、又シソの葉と合わせて塩もみして生で頂きました。

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by babamama_123 | 2012-09-30 11:43 | 日々の記録 | Comments(2)

信濃路

9月中旬の3連休に、信州蓼科に行ってきた。今年も夫が元勤めていた会社の保養所、ラ・ストラダ(道)に2泊した。行きは中央道を茅野までひたすら走り、午後4時過ぎに到着。翌日は、夫と娘は、会社が契約している近くのゴルフ場でゴルフを楽しむつもりだった.
けれど、予約を怠ったために、空きがなく、ドライブに変更。そこで、婆さんはまだいったことのない、美ヶ原に行こうと頼んだ。寮から車で2時間あまり、着いたら正午の鐘が駐車場に鳴り響いた。
9月16日、標高2000メートルの高原の空には夏の雲がかかり、時々冷たい風がふくけれど、まだ夏の気配が残っていた。マツムシソウの1本くらいどこかに残っているかもと、草はらをさがしたけれど、みつからなかった。草原にススキが揺れて、草の枝にトンボがとまっていた。もっと歩きたかったけれど、駐車場から10分も歩かないうちに爺さんが顎をだしてしまった。これでよくゴルフなんて言ったものだと思う。多分自分でも自信がないので、予約をしなかったのだろうと、憶測した。 草原を歩きながら、10年前、霧ヶ峰高原で、マツムシソウに囲まれてテントで過ごした日を思い出した。60近い女4人、花と干しの美しさにうっとり見とれた。8月下旬だった。夜は震えあがるほど寒かった。
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by babamama_123 | 2012-09-25 12:36 | 歩く | Comments(2)

猫とこおろぎーこおろぎ

「ぐっばい、こおろぎ君」藤崎 和男  講談社
 彼は小高い丘の上にある月見台団地の5階に、一人で住んでいる。彼は、70歳を超え、塾(予備校)の講師である。
 9月になっても夏のほとぼりがさめない蒸し暑いある晩、仕事から帰った彼は、トイレでこおろぎを発見する。彼はそのこおろぎをカレと称し、次第に心を通わせるようになる。これは、カレを見つけるに至った経緯からカレが死んでしまう10月末日までのことを、彼が日付を追って日記形式につづったものである。
 彼が団地の住居にいるのはほとんど夜である。こおろぎをみつけるまでは、部屋のあかりをめざして飛び込んでくるアブラゼミのことを描き、それからはってんして戦後故郷の博多小倉ですごした子供のころの思い出や、去って行った妻子とのことなどがかたられる。
 仕事から疲れて帰った彼がトイレに行くと、使い捨てたトイレットペーパーの芯の中にカレがいて、彼の独りごとに呼応するかのように、リンリンと鳴くのだった。
 日常の細かなことをとりとめもなくつづっているだけのようであるけれど、独居老人のさびしさがつたわってきて、わが身に重ねて、読み煤sむうちに、しんみりしてしまった。
 最後のページ  
  彼はカレを手のひらにのせたまま居間に戻り、明かりの下でカレの姿をもう一度よく見た。小指のつめほどの小さな黒褐色の美しいコオロギの体が、彼のすぐ目の下に会った。カレは前脚でしっかり体を支え、昂然と頭をもたげ、野生のコオロギとしての誇りを失うことなく死んでいた。彼はカレを飲まず食わずのまま、寒さの中に死なせてしまったのだ。少なくも彼はカレが生きている間に、「ありがとう」の一言くらい言っておくべきだった。彼は彼の手のひらの上にある死んでしまったカレに向かって、「ありがとう」とつぶやいた。
 --彼は目を見張った。カレの体の尾についた二つの剣がゆっくり、本当に苦しくなるほどゆっくり右に左に動いたのだ。・・・以下略  

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by babamama_123 | 2012-09-14 16:22 | 読む | Comments(0)

猫とこおろぎ

8月の終わり猫とコオロギにかかわる本を2冊読んだ。どちらもとても味わい深かく、しみじみとした感動が心に残った。
「カモメに飛ぶことを教えた猫」
     ルイス・セプルベタ 河野万里子訳 白水社
 ある日、黒猫のゾルバはカモメに出会う。ゾルバがバルコニーで昼寝をしていた時に、かもめが落てきてあやうくぶちあたるところだった。カモメは黒い油にまみれでいやな匂を放ち今にも死にそうだった。なんとか助けようとするゾルバにカモメのケンガ―は、3つの約束ことを託し、卵を1つ残してて死んでしまう。約束というのは、
 「わつぃが産む卵は食べない、と約束してください」
 「ひながうまれるまで、その卵のめんどうを見てください」
 「最後に、ひなにとぶことを教えてやると、約束して下さい」
 ゾルバの買主は友人にゾルバの世話を頼んで2か月の旅行にでてしまった。友人は毎日アパートに通って食事や掃除をしてくれる。
カモメとの約束を守ると誓ったものの、ゾルバにとっては初めてのことで、困難がおおかった。港に住んでいる猫仲間に助けられながら、卵をかえし、ひなを育てる。けれど、最後の約束だけは猫達にもどうしてよいかわからなかった。結局人間の知恵を借りて、かもめの子は飛ぶことを覚え、親鳥が飛んできた海原へと、飛び立っていく。
 ひなの名前は猫仲間の大佐がつける。大佐の言葉
  「このひなが、われわれのもとにやってきて幸運だったと考えるなら、フォルトゥナータという名はどうじゃろう。幸運な者という意味じゃ」
 ゾルバの言葉
 「きみはカモメだ。だがチンパンジーの言ったことで正しいのは、それだけだ。ぼくたちはみんな、きみを愛している、フォルトゥナータ。たとえきみがかもめでも、いやカモメだからこそ、美しいすてきなカモメだからこそ、あいしているんだよ。これまできみが、自分が猫だと言うのを黙って聞いていたのは、きみがぼくたちのようになりたいと思ってくれることが、うれしかったからだ。でも本当は、きみは猫じゃない。きみはぼくたちとは違っていて、だからこそぼくたちはきみを愛している。ぼくたちは、きみのおかあさんの力になることはできなかった。でもきみの力になることなら、できる。ぼくたちは、きみが卵から出てきてから、ずっときみのことを守ってきた。きみのこを猫にしようなどとは一度も考えずに、心の底から愛情を注いできた。ぼくたちはきみを、カモメとして愛してるんだよ・・・・中略・・・自分と似たものを認めたり愛したりすることは簡単だけど、違っているものの場合は、とても難しい。でもきみといっしょにすごす家に、僕たちはそれができるようになった・・・いいかいきみはかもめだ。そしてカモメとしての運命を、まっとうしなくてはならないんだ。だから君はとばなくてはならない。…飛ぶことがができたときこそ、フォルトゥナータ、きみはきっと、幸せにになれる。そうしてぼくたちにたいするきみの気持ちも、きみにたいするぼくたちの気持ちも、今よりもっと強く、かけがえのないものになるはずだ。だってそれは、まったく異なる者どうしの愛だから」
 「飛ぶんだ、フォルトゥナータ。さあ、深呼吸をして。雨にさwってごらん。雨を感じてごらん。君の好きな水だよ。きみには好きな者や、幸せを感じるものが、あるだろう。そのひとつが、水と呼ばれているものなんだ。もうひとつは風、そしてもうひとつは、太陽だよ。雨の跡ごほうびのように現れる太陽だ。雨は気持ちがいいかい? さあ、つばさをひろげて」
 フォルトゥナータのことば
 「あなたのことも、好き!あなたはほんとうにやさしい猫}

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by babamama_123 | 2012-09-11 15:22 | 読む | Comments(2)