今月の作品

夏休み明けの絵画教室、今日は社会人生徒5人が参加していた!。
少し遅れていくと、皆さん机の上のモチーフを選び始めていた。今日のお題は枝豆とイチジク。枝豆は根っこがついている。根っこの形が面白そう。豆より根っこを描こうと、選んだのだったが、あまりにも複雑に絡み合っていて、とてもじゃないけど2時間では描けそうにない。2時間どころか、たとえ何時間、何日あっても自分には無理、と描き始めて早々にあきらめた。しばらくぶりに鉛筆をもったら、線が乱れてうまく描けなかった!もう少し涼しくなったら又頑張ろう~
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by babamama_123 | 2013-08-24 16:40 | かく | Comments(0)

最後の遊泳?

10日ほど前、娘から大津プリンスホテルプールの招待券をもらった。連日の猛暑から逃げようと、年甲斐もなく出かけることになった。最後に泳いだのはいつだったろうか。もう20年近く泳いでいない。それでも確か水着は残してあったはず、と衣装ケースの中を探してやっと1枚見つけた。背中が大きく開いた若向きの水着。自分のはピンクだったがそれはかった。3人娘の中のだれかのだろう。これから先プールにいくこともなさそだし、これでいいと着用してみた。ぴったりサイズだった。が、手触りがおかしい。砂糖水をかけたようにべたべたする。手をあらってもべたべた感はとれなかった。古くなって繊維がとけているらしい。仕方ないので、買うことにした。一番安い競泳用で上下の別れたのを買った。
招待券の有効期限は9月始めまで。2枚もらったので、爺さんといくことになった。
 大津プリンスホテルは琵琶湖岸にある。プールは屋外で38階の建物の外にあった。プールの前に琵琶湖がひろがっている。空に雲が流れて、琵琶湖の水と空と雲がビル全面の窓ガラスに映っていた。水はぬるかったけれど、プールから出ると、猛暑なのに膚寒い。夏の盛りは確かに遠のいていると感じた。
 水に入るのは20年ぶりだったけれど、25メートルを平泳ぎで6往復した。平日で人は少なめだったけれど、私ごときの輩は誰もおよいでいない。誰かが、ほらおばあちゃんがあそこで手をふってるよ、と幼児にいっているのが聞こえて、恥ずかしくなった。その方を観ると、爺さんが服をきたまま、椅子で本を読んでいるのが見えた。せっかく海水パンツを買ってきたのに、恥ずかしいと言って着替えなかった気持ちがわかったような気がした。
 帰りは京都駅で降りて、駅の南にある、新福菜館によって、好物の白肉でビールをのんだ。このラーメン屋さんは、爺さんの昔からの好みのお店で、2,3年前まではよく着ていた。久しぶりにお店に入ると、店員さんが見た顔だと、覚えていてくれた。たっぷりのもやしとねぎの上にのったちゃ―しゅうは、よく冷えたビールにあってとってもおいしかった。
 翌日、心配していた筋肉痛はなく、足のむくみがとれてすっきりしていた。せっかく水着をかったのだし、もう2,3度泳ぎに行こうかと、近場のプールを探している、私はこりない婆さんなのだ。
犬と猫に見える雲
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プール全景
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プリンスホテル
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38Fから見た瀬田方面
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新福菜館の白肉(その後、爺さんはラーメンも食べました)
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by babamama_123 | 2013-08-22 14:44 | 日々の記録 | Comments(0)

記憶の中の8月15日

今日は終戦の日。68年前の8月15日正午、玉音放送で日本が戦争に負けたことが知らされた。
 昭和20年ー1945年ー8月15日、私は一面小金色に輝く麦畑の中にいた。おかっぱ頭に薄汚れたズボンをはいて、腰には布袋を提げている。袋はお母さんが手で縫ったものだった。背丈を超える麦の林の中で、私は晩のおかずになるイナゴをとるのに夢中だった。一匹ずつ捕まえては袋の中にいれる。疲れて上を見ると、青空が見渡す限り広がっていた。
いなごを袋にいっぱいつめて帰る途中、大人達の声が聞こえた。その中に妹をおぶった母もいた。大人達はひそひそと話しながら歩いている。太陽は頭上にあってとても明るかった。
 後で、村の集会場で玉音放送を聞きに行ったのだと聞いた。
 終戦の日を迎えるたびに、奥羽山地の疎開先と、中野の家を思い出す。
 昭和19年、それまで住んでいた家は強制立ち退きで、歩いて10分もかからない同じ中野区の家に引っ越した。前の家は省線(JR中央線)が家の近くを走っていた。祖母と手をつないで黒い貨車を一台、2台・・・と10代以上も数えたのを覚えている。引っ越し先は2階屋で、省線までは1キロ弱離れていた。晴れた日には、2階から富士山を眺めることができた。青桐が1本ある狭い庭のある家だった。その年の8月、妹が生まれた。母は早産で小さかったと言ったが、小学校では健康優良児で表彰されるほどにそだった。妹が生まれたころから、戦争は激しくなって、東京にもB29が飛来するようになった。棚の上にのったかまぼこ型のラジオから警戒警報発令のう~という音を聞いた。夜は燈火管制で、どこの家にも暗幕があって
光がもれないようにした。暗幕をそっとあけてみると、サーチライトが交叉して動いているのが見えた。又、赤や青のライトをつけた飛行機が飛んでいた。夜空の星のようできれいだった。きれいだね、と言って叱られた。敵の飛行機だったのだろう。
家の裏には麦畑がひろがっていた。その上空を飛行機が落ちていくのが見えた。それを観た隣家の叔父さんは、日本は負ける、馬鹿な戦争をして、と言ったとか。並んで立つ父は、それでも、お国のために戦っているのですから・・・、と行ったとか。そうした風景が日常になった。家には生まれたばかりの子供と、中風(脳梗塞)で動くのもままならない祖母がいる。空襲にあっても素早く逃げられないと、父の遠縁を頼って盛岡の山村に疎開することになったのだ。3月東京大空襲の日、上野のホームはごったがえしていた。私は窓から列車の中に押しこまれた。
終戦前後のことは断片的に覚えている。お婆ちゃんが小さかった時のことをいつか孫達に話そうかな。

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by babamama_123 | 2013-08-16 00:53 | 日々の記録 | Comments(0)

真夏の夜の残酷食卓

この2,3日朝夕しのぎやすかった。それでも、徐々に気温が上がってくると、口を動かすのもつらくなる。犬も猫も、日中は風通しのいいところでひたすら寝ている。動物病院の先生がいうには、猫は動かないことで暑さをしのいでいるのだとか。爺さんも猫にならって、朝食後はTVの前で横になって動かない。時々、長く伸びた猫と平行線をつくっている。太い太い平行線・・・。婆さんもそうしたい、とおもうけれど・・・。どんなに眠くても、日中は眠れない。どんなに暑くても、日常生活のこまごまとした作業を婆さんがしなくて誰がするのだ、と思うから。半分ふらふらしながら、掃除洗濯、食事作りと忙しい。夕方買い物を終えて、台所に立つと、さすがに身も心も疲れ果てて、これ以上はなにもしたくなくなる。暑くなってからの夕食は、超簡単料理で、料理と言えるものではなくなってきた。たとえば、
 茄子の火あぶりー焼きナス、茄子をガスコンロにおいて直火でやくだけ。
 きゅうりの袋叩きーキューリをふくろに入れて、そとがわからこん棒でたたく。ひびが入ったら塩または醤油を加えてもみこむ。(小がを加えてたたくと爽やかな味のができます)
 豆腐の八つ切りー豆腐を切ってお皿に乗せるだけ。
 レタスの八つ裂きーレタスをちぎってマヨネーズをつけてたべる。

 料理って残酷だなぁ。魚のくし刺し、生け造り・・・。台所に立つと鬼婆になる。食べないわけにもいかないので、心の中で手を合わせて、食べている。

火を使わず、包丁も持ちたくない時は、スーパーで出来合いをかってきて、そのままテーブルに並べるだけ。
ある日、冷蔵庫の野菜かごを開けたら、お弁当に使った野菜の切れ端が、いかれてたくさんでてきた。爺さんに気づかれないようにいいところだけ残して、大半はこっそり捨てた。良心がとがめるので、余力を振り絞って、ねばねばサラダを作った。と言っても、きりきざんであえるだけ。おそうめんに入れたり、ご飯にかけてたべたけれど、少しばかり、力がついた気がした。
 ネバネバさらだ
  長いものの切れ端、草臥れたシソの葉、茗荷1個(隅にころがっていた)、納豆2箱(古くなった常備菜)、オクラ(ゆでなくてもしんなりしていた)、キューリの残り、などなどをきりきざんで混ぜる。冷たくすると、結構おいしい。しかし食べたのは婆さんだけだった・・・・
今週は暑さのピークを迎えるという予報。婆さんも猫か、になりたい・・・。
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by babamama_123 | 2013-08-05 13:50 | 日々の記録 | Comments(0)