2014年のお正月

まだまだゆっくりしていたかったのに、正月休みは瞬く間に過ぎてしまった。昨日から、娘の出勤に合わせて、無職の婆さんの仕事が始まった。正月休みの間、朝寝、家事は手抜き、で、ほとんど動かなかったので、早起きがとてもつらい。
気がつくと、全くなにもしなかった。書き初めも、年頭の計画も、しなかった。昼近くに朝昼兼の食事をして、ぐずぐず後片付けをしてちょっとTVをみると、もう日は暮れかかる。ホッカイろを背中に張って家の周囲を一回り、ニュートンの散歩に付き合う。それから残り物を出して夕食。新聞読んだり、TVを観たりするうちに、就寝の時間になる、という日々だった。年の始めがこれだと、この一年はどうなるのだろう、空恐ろしくなる。でもこれは毎年のことなので、今年もあれこれありながら過ぎていくのだろう。幸せも、よいことも、高望みはしない。平穏に過ぎてくれさえすればとねがっている。
 大晦日になってから、おせち料理に取り組んだ。年寄り二人に、中年にさしかかった娘の3人の家族だから、質素にしようと決めていたが、できあがったものをテーブルに並べてみると結構豪勢になってしまった。贅沢な品々は娘が用意したものである。年の始めの晴れの日なのだから、ケチはするなということらしい。婆さんは、ケチなので、割引になった食材を買って全部手作りした。
 田作り、数の子、黒豆、紅白なます、根菜の煮シメ、等。すべて、大晦日の夜につくったので、全部できあがると、除夜の鐘も鳴り終わっていた。
 大根を刻みながら、過去何十回もの正月風景をおもいだしていた。子供5人と父母の7人家族の正月料理は地味だったけれど、大きな器に山盛りの料理がテーブルに所せましと並べられていた。父も母も北海道の出身なので、北海道の品が多かった。数の子や、身欠きにしんの昆布巻き、氷頭なます、など。根菜の煮物は大ぶりで、八つ頭はこぶし大もあり、がんもどきはどかんとまるごと入っていた。京都に嫁いで、婚家の筑前炊きのこまかさにびっくりした。XX切りだと、家族はあざ笑うけれど、私が作る料理が粗いのは母の料理で育ったせいなのだ。 ダイニングキッチンなのに、キッチンは冷える。夜がふけてくると、疲れもでて、やっぱり出来合いにすればよかった、後悔する。でもふと思った。これよりもっとたくさんの料理を母は一人でつくっていたのだと。私達子供は、何をてしていたのだろうか。女の子4人もいて、母の料理の手助けをした記憶がない。母が逝って、丁度1年になる。そのせいか今になって母のことがいろいろ思い出されるようになった。大勢の子供を抱えて大変だったろう。気になって5歳下の妹に電話で聞いた。お母さんの料理てつだった?妹も手伝った記憶はないという。すぐ下の妹も手伝っていなかった。その下は聞くまでもない。なんという娘達だったのだろう。私の娘が、テーブルで一人お酒を飲んで犬と戯れているのを、怒るにならなくなってしまった。
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by babamama_123 | 2014-01-07 15:57 | 日々の記録 | Comments(0)