大きく、大きくな~れ

夕方、プランターを見たら、なんと、豆のさやができていました!でも収穫するには細すぎる。もっともっと大きくな~れ!
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by babamama_123 | 2014-06-28 00:39 | 日々の記録 | Comments(0)

4月から始まったNHKn朝ドラ、"はなことアン"、を見ていて、なにかひっかかるものがあった。それが何か自分でもはっきりしないままドラマは中盤を迎えている。この間、ニュートンと歩いていて、ふと昔のことを思い出した。散歩道にある田んぼの稲や、畑の苗が、元気よく伸びているのが、昔みた風景に重なったからかもしれない。
半世紀も前、私は、勤務先の学校に、田んぼのあぜ道を歩い行った。
学校は利根川の残したクリークを挟む西側の雑木林の中にある。私の家は対岸の雑木林の丘陵を切り開いた住宅地にあった。学校まで、直線で2キロ位。寝坊をしなければ、バスに乗って南に4キロ先の停留所で降り、そこから北に1キロ弱歩いて行く。バスの方が時間がかかった。寝坊をしなくても、気が向くと畦みちを突っ切っていった。冬は霜柱の砕ける音がおもしろかったし、今頃は、緑の絨毯を踏みしめるようだった。稲をなぜて吹き渡る風がきもちよかった。といっても、私も若い女性だったので、人のいない田舎道はちょっと不安にもなる。その気持ちがわかるのか、トラ柄の秋田犬(吾龍太ーごろうた)が、私をまもるかのように裏門までついてきた。帰りなさい、というまで、正座して待っているから、ちゃんと家に戻ったか、母に電話で確認しなければならないかった。
1960年代半ばの三学期始め、勤めていた会社を依願退職してすぐに学校につとめることになった。六本木にある会社は、遠かったし、何より仕事が面白くなかった。そんな愚痴をききつけてたのかもしれない。末の妹が通うK高等学校のPTAをしていた母が、学校で理科の先生をさがしている、と情報提供してくれたのだった。東京オリンピックのあった翌年であった。日本は高度経済成長期のただなかであった。理科系卒業生は製造業などの企業でひくてあまた、先生のなりては少なかった。渡りに舟!(第1回目の)とばかりに、なにも考えずに母の話にとびついたのだった。
K高校は、その時創立間もない学校だった。初めての卒業生をだしたのは私が就任したその年である。私はほぼ2か月の間その卒業生に物理Bを教えた。どんな授業をしたのか皆目思い出せない。
変わった学校だった。まず、その時代なのに、男女別クラスであった。
男子の制服は蛇腹で、太平洋戦争時の海軍の制服に似ていた。女子はセーラー服で、学習院か、双葉の制服に似ている。生徒達は制服で登校して、教室にはいると、男子も女子も紺の校内服に着替える。制服を汚さないようにというはいりょであった。
学校長の教育方針は、礼節を重んじる、だったか。挨拶から始まる言葉使い、整理整頓、清掃、に厳しかった。
学校長、や先生、目上の人に対する挨拶は、"ごきげんよう"、なのだった。
通い始めて早々、ごきげんよう、と挨拶されて、びっくりしてしまった。さようなら、と言いかけて先が言えなかった。
学校長は、フランス式の学校で教育をうけたのだとか。士族だか華族だかのご落胤、というのを聞いた覚えがある。華族の家のお嬢様と結婚したが、離縁されたのだったか・・。朝礼の校長訓話に上流家庭についての話がチラチラ出ていたようにも覚えている。学校長の官舎は校庭のはずれにあって、その当時四十代の美人の奥様が控えていた。学校長は五十代後半、還暦に近い年齢だった。つややかな黒髪もたっぷりとして、中背の恰幅のいい体に黒のダブルの背広が似合っていた。教育者というより、実業家タイプ。会社の社長といった風だった。奥様は三年生の女子に、日舞のきほんを教えた。浴衣をきて、講堂で、さくら、さくら、・・・とおどっていたっけ。なんとかという女優さんに似た美しい女性だった。女の子は女らしく、というのが学校長の方針だったのだろう。女らしさ、といわれると、逆らいたくなるわたしには、日舞も、ごきげんよう、もなかなかなじめるものではなかった。
ぬかるんだあぜ道を歩いて、学校の玄関に入った先に、学校長が立っていた。でくわすなり、彼は行った、"なんですか、その靴は!こまりますね、F先生!"
見ると私のショートブーツは泥だらけ。まずい、と思ったが遅すぎた。すみません、としどろもどろに言い訳するのに、靴はピカピカに磨いてはくものです。と校長は、立ち去った。そのあとにオーデコロンなのか、香水なのか、いい匂いがただよっていた。続く


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by babamama_123 | 2014-06-25 15:53 | 日々の記録 | Comments(0)

銅版画ーゆりかごの唄

2014年度春の1作目
教室再開の1作目は、好きな唄シリーズにした。ちょうど枇杷の季節だったので、"ゆりかごの唄"にした。家でエッチング、教室で腐食、プレスを繰り返した。結構根を詰めたつもりだけど、思うようにできあがらなかった。まだ手を加えれば少しはましになるかな?とおもわないでもないけれど、根が尽きた感じ。しばらく間をおいて、見直してからどうするか考えよう。
エッチグ、ドライポイント、 手彩色 18cm×25cm
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ゆりかごのうたを かなりやがうたうよ ねんねこ ねんねこねんねこよ
ゆりかごのうえに びわのみがゆれるよ ねんねこ ねんねこねんねこよ
ゆりかごのつなを きねずみがゆするよ ねんねこ ねんねこねんねこよ
ゆりかごのゆめに きいろいつきが かかるよ ねんねこ ねんねこねんねこよ
作詞 北原白秋

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by babamama_123 | 2014-06-23 14:36 | かく | Comments(0)

プランターに撒いたいんげんの種、ちょっと目を離した間に背丈が伸びて、花までつけていた。この花、実になるのだろうか。それからは、土が乾かないように、水やりをこころがけている。それにしても、葉っぱについた白い斑点が気になる。追肥もしなければ・・・。
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毎日ニュートンと歩く道に大ぶりのガクアジサイがさいている。大きながくで、青の色も素晴らしい。通りかかるたびに、写真にとろうと思いながら、日が経ってしまった。昨日みると、あじさいはがくをおとし、しなびれはじめてきた。もうあじさいの時期は終わりに近づいているのだ。あわてて、犬の寝ている間に写真機を持って写してきた。
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by babamama_123 | 2014-06-21 10:55 | 日々の記録 | Comments(0)

幼犬学校

昨日はニュートンのしつけ教室の最後の日だった。買い物もあったので、婆さんも一緒についていった。ドアーの外で様子を見ていると、ニュートンはすぐに私を見つけて、視線を投げてくる。でも振り向いても、駆け寄ってくることはなかった。
お座り、待て、等結構順調にこなしているように見えた。終わってから、幼犬コース卒業できた?、と聞くと、上級コースへのお誘いはなかったという。つまり三回も通って、まだまだなのである。私、結構ちゃんとできるんだし、もういいんじゃないの、と言った。相変わらず、自分より小さい犬に追いかけられて逃げ回るニュートン。椅子の下にもぐって、他の犬と遊ぼうとしない。
ニュートンはおばかじゃないよ、警察犬や介護犬、芸能犬にならなくったていいじゃない。
まあ、そうだけど。
次回の予約は取らなかったらしい。
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あ、婆ちゃんだ
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待て!(走りかけたので、インストラクターに綱を抑えられた)
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ウオーキングの始め。
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by babamama_123 | 2014-06-16 12:00 | 日々の記録 | Comments(0)

猫のジュピター

私は昔から絵本が大好き。予約の本をとりに図書館に行くときには、ついでに絵本も2,3冊借りることにしている。絵本の中でも動物をテーマにしているものが好きだ。年をいっぱいかさねても、中身は子供みたいだ。というより子供にかえってしまったのかもしれない。
身も心も疲れているなと感じるとき、絵本を眺めているだけで、気持ちが安らいでくる。
先週借りた絵本は、「猫のジュピター」、「ライオンはそよ風の中で」、「魔女と笛吹」の三冊
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「猫のジュピター」
元野良のジュピターは、オリオンキャットフード工場の試食係として工場に雇われている猫達の一匹である。ジュピターという名前は工場で働いている星さんが付けた名前で、ほかの猫達も皆星にまつわる名前がついている。ある日、オリオンのある町にドッグフードの工場キングが、キャットフードを売り出すことになった。キングの缶詰は大量生産で値段も安かったので、オリオンの缶詰はうれなくなり、工場は閉鎖に追い込まれる。職を失うことになった猫達はそれぞれ新しい飼い主のもとにひきとられることになった。ジュピターも、絶対オリオンは復活すると信じて、とりあえず新しい飼い主の元にいくことになったのだが・・・。
あれこれあってやっとたどりついた飼い主はおばあさんで、長年いっしょだったトラ猫に去られてさみしいおもいをしていた・・・。このあたりをよんで、8年前に行方不明になったままの我が家の虎雄を思い出して、胸が詰まってしまった。あのとき5歳だったから今13歳くらい。老猫である。私の鼻先をなめて、いつものパトロールに外に出て行ったきりもどってこなかった。今では、虎雄は修行にいったのだとあきらめてはいるけれど、しばらくの間はつらかった。
オリオンはジュピターの予想した東リ再開することになった。ある日偶然星さんと再会したジュピターは又オリオンではたらくこtになった。めでたしめでたし。
以下略

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by babamama_123 | 2014-06-13 10:46 | 読む | Comments(0)

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先月下旬に数か月前に予約をしていた本が2冊一度に回ってきた。
三浦しをんの「舟を編む」とアリス・マンローの「小説のように」である。借りられる期間は2週間。両方ともページ数が多いので、期間内に読み終わるのは難しいと思った。2冊同時進行で読み始めたけれど、両方とも半分もいかないうちに図書館から返却の督促メールが送られてきた。2冊ともまだ大勢の人が待っている。けれど3日ほど延期して、「舟を編む」は読み終えた。「小説のように」の方は、婆さんには読みにくい文章で、まだ半分もよみおわらないのに、返すことになった。また予約を入れて読み直そうかと思う。

「舟を編む」三浦しをん
編集長の言葉に「辞書は言葉の海を渡る舟だ」というのがある。
海を渡るにふさわしい舟を編む、という思いを込めて、名づけられた「大渡海」という辞書が世にでるまでのおはなしである。
登場人物が皆独特で、変わっている。人情味があるのに表に出さない。辞書の編纂に携わる人々の関わりや性格を描きながら、言葉の重要さもしっかり述べている。面白いなあと思いながら読み進むうちに、いつの間にか主人公"まじめ"さんの影響を受けているのに気が付いた。
言葉は慎重に使わなければいけない。間違ってつかわないように辞書をひこうと思い立った。ところがその辞書が私の部屋から消えていた。昔(かれこれ20年前)、家人に付き合って、パチンコをしたことがあった。ある時、真ん中のチューリップが開きっぱなしになって、玉入れがたちまちいっぱいになった。隣は玉を追加しても空っぽだった。投入資金は1千円だったか。得たお金は2万円!!。その収益で私は「広辞苑」を買ったのである。だからこれはまぎれもなく私の所有物なのである。どこに消えたか、ピンときたので、犯人のいないときに取り返してきた。
早速、舟と船の違いを調べた。一緒の項にあって、違いはかかれていない。なぜ舟なのだろう?
"編む"は、言葉を紡いで書物を作る、編集するとある。

「あまりに幸せ」アリス・マンロー「小説のように」から
ロシアの数学者ソフィア・コワレフスカヤの伝記にもとづく話。婆さんが若かった頃、別の本で読んだ記憶がある。あらましはほとんど忘れてしまったけれど、数学を学びたいために、契約結婚をしてロシアから出た、ということを覚えていた。十九世紀半ばのロシアで女性は高等教育を受けられなかった。又、親や家族(配偶者)の許諾なしに国外に出ることもできなかった。契約結婚は進歩的な女性の間で流行っていたという。

四十一歳でなくなる前の三年間のソーニャの話。父や姉のこと、旅の途中で出会った人々のこと、姉の革命家の夫と息子のこと、契約結婚したそーにゃの夫との関わりや、彼との間にできた娘のこと、など、話が前後しながら語られる。苦難の多い人生であったが、学問に対する情熱は消えることがなかった。夫は亡くなり(自殺?)、新しい恋人と結婚するためにためにパリを出る、ところで終わる。

*ソフィア・コワレフスカヤの十七年後にマリー・スクロドフスカがポーランドに生まれる。

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by babamama_123 | 2014-06-05 23:41 | 読む | Comments(0)

びわの実を描く

銅版画教室が再開されるときいて、今までの続きで、自分の好きな歌を絵にすることに決めた。一枚目は、ゆりかごの唄。最近スーパーで枇杷を見て思いついた。家にも幹はたいそう貧弱だけど、葉っぱは立派な枇杷の木がある。枇杷のみを買ってきて、葉っぱを一枚もいで、練習のためパステルで描いてみた。木になっているのをかきたいけれど身近にはなく、ネットで検索した写真を参考にすることにした。ニュートンの散歩がてら、木の葉と枝はどうなってるのだろうと、気にしながら歩いている。葉っぱは枝の先まで必ずついている、ということがわかった。
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by babamama_123 | 2014-06-02 16:53 | かく | Comments(0)

RESTART

今日から6月。昨年12月に中断された銅版画教室が、再開講することになった。これまでは4月の第一日曜日が春期講座の初日だった。長年使っていた美術館隣の建物が市の方針で撤去されることが決まって、版画教室も彫塑教室も立ち退かなければならなくなった。次の教室が見つからないまま昨年の秋期講座が終わり解散となった。それからほぼ半年近くたっての講座再開である。この間の世話役の方々のご苦労はたいへんだったことだろう。
今度の教室は、前の場所からも近い、元小学校(東山白川小学校)の図工教室である。少しおくれて教室に入ると、いつもの顔が揃っていて、教室は満杯になっていた。広さは以前の半分くらいだろうか、壁際に据えられた大きなプレス機が、さらに大きく見える。今日は昨日に続いて真夏日だった。三条通りは照り返しもあって汗が噴き出るほどの暑さだった。にもかかわらず、教室は全開された窓から風が吹き抜け、作業に支障をきたすほどではなかった。教室の窓から濃さを増した緑に覆われた東山が迫って見える。車の通る音もなく静かな雰囲気で、絶好の場所である。
開講の知らせを頂いて、教室のUさんと、今度は丁寧に、真面目に、作品作りにはげみましょうね、と電話で約束したのだったが、初日の今日、描くべき題材もなく、銅板を磨いて、あとは再会を喜び合うおしゃべりをして、初日の飲み会に向かったのだった。今度こそ、今度こそちゃんとしたのをつくりたいっ!!先が長くはない婆さんの切なる願望、金次郎様どうかよろしくお願いいたします。
エントランス
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二宮金次郎の銅像
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校庭
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図工室のある建物(教室は2階)
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by babamama_123 | 2014-06-01 23:50 | 日々の記録 | Comments(0)