蝉のなる木

台風11号は、西日本に膨大な水を撒いて、午後やっと日本海に通り抜けた。嵐の後の静けさ、というのだろうか、我が家の周りからは時々強く吹く風の音しか聞こえない。朝からしゃあしゃあと、やかましかった蝉の声が聞こえない。一昨日あたりから、急に蝉の声がすくなくなったような気がする。クマゼミの時期は終わったのだろうか。とても気になる。
7月、孫達がくると、それまで途絶えていた爺婆の会話が復活した。爺さんは蝉がよほど気になるらしい。朝日が昇ると目覚まし時計のように一斉にしゃあしゃあ鳴きだす蝉の声と暑さに我慢できなくなったらしい爺さんはが遅くに起きてくる。それから遅い朝ごはんを食べ終わるころ、蝉はぴたっと静まる。
「蝉はどうした?」と爺さん。
「どっかにとんでいったんじゃないの。」
「どこに行くんや?」
「知らないわよ。蝉にきけば?」
毎回おなじことをいうので、婆さんは意地悪く答えた。「だいたい、うるさく鳴くのはオスなんだから。メスは鳴かない!!。メスをさがしにとんでいったのよ。どこかのオスとおんなじよ」
これで一日の爺婆の会話はお終いになる。爺さんは、もうテレビの前で眠っているのだ。
蝉の一生はとても不思議だ。何年も土の中で過ごして、地上でてから1週間(一月という話もある)もすると、子孫を残して生涯を終える。婆さんが不確かな知識を披露すると、爺さんは、「蝉は何が面白くていきているんだ?」と言った。なんと言っていいかわからない。婆さんは「蝉じゃなくてよかったね」としか言えなかった。けれど、蝉が土の中から出て、からを破り、成虫となる瞬間を一度でも見ると小さな生き物でもその一生はとても厳粛に思える。蝉に限らず、自分の子供の生まれたばかりの姿をみたことのない爺さんにはその感激はわからないだろう。
40年近く前、まだ若かった婆さんは3人の小さい娘と、蝉の脱皮を見た。
当時婆さん一家は、爺さんの勤めの関係で、四国の高松市に住んでいた。広い庭付きの3つの和室がある平屋である。南の庭の前は、鳴門ー今治に通じる幹線道路で、排気ガスをさけるためか、塀の周りはせのたかいどんぐりの木が植えられていた。東隣は小さな神社で、樹木がうっそうとしている。西隣は始め空地だったが、高松を去る少し前に焼き肉屋ができた。北側に門があって、幅2メートルほどの石橋がかかり、その下に農業用水が流れていた。その川で我が家はちょっとした孤島のようにみえる。引っ越して2、3年立ったころ、この家の曰くを聞いてびっくりしたことがあった。(おめかけさんの家で、塀を突き破って車が飛び込む死亡事故があった。その部分だけブロックが新しくなっている)
末の娘が幼稚園のころの夏の夜、隣の神社の蝉を見に行った。上の二人は小学生になっていたから、蝉についてなにか聞いていたのかもしれない。塀を乗り越えて神社の松の木を照らしてみると、ちょうど蝉の殻が根本30㎝くらいのところを上っているところだった。それをみつけると、蚊にさされながら、私たちは傍にしゃがんでじっとみつめた。すると、殻は動きを止めて、背中が割れ、中から青白いものが少しづつでてきた。4人とも息を殺してじっとみつめた。青白いのは蝉の羽で、殻から出た時はしわしわにたたまれていたのが、空気にふれてゆっくりひろがり、じきに蝉の形になった。青白い羽をした蝉はゆっくり松の木を上って行く。普段はうるさい娘たちはみんなおしだまって見ていた。
それを、今年40歳になる末娘が思い出したのだ。帰国の迫ったある日、孫娘に蝉の脱皮を見せてあげる、といいだした。祇園祭も過ぎて蒸し暑い夜だった。あの頃はデジカメもなく、写真をとるなどかんがえもしなかったので、その瞬間を写真に収めようと、デジカメを持って、婆さんも一緒にみることになった。
我が家の東隣は幅2メートルの隣家への路地になっていて、庭のようなものである。塀沿いに今では10メートルを超す高さになった金木犀や、モクレン、ハナミズキがうわっている。蝉は毎年金木犀の木でうるさくなく。根本には、出てきたと思われる穴がいくつかある。
虫よけスプレーを肌にいっぱいつけて、女ばかり5人は路地にたった。お父さんは帰国して、爺さんは寝てしまった。
小さな明かりで蝉の殻を探した。たちまち数個みつけたが、どれも背中が割れて、なかは空っぽ。脱皮しようとするせみはとうとう見つからなかった。見上げるときんもくせいの葉っぱに抜け殻があっちにもこっちにも2、3個固まってくっついている。気が付くのが遅かったのだ。
家の蝉は全部穴から出て飛び去ってしまった後だった。
蝉は葉っぱの裏に卵を産みつけ、幼中になったら穴の中に落ちるらしい。それから6~12年土埜かにいて、外に出てくる。来年は鳴き始めたらすぐに観ることにしよう。孫たち、来年もくるだろうか。
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by babamama_123 | 2014-08-10 16:13 | 日々の記録 | Comments(0)

娘たちが帰った後、すぐにお部屋の引っ越し。ついでに10数年ぶりに大幅変更した。東がわにある机を北側に移動、衣装ケースを一つ北から東に移動して、その隙間に机を入れた。机のそばに2段重ねたマットレスを東西に向けておく。なにしろ、力がなくて、これだけのことをするのに半日以上かかった。箪笥や机の引き出しを全部外して、下にぼろをしいて、足と腰でずるずるとひっぱて動かすのである。
机のイチが変わっただけで、随分落ち着いた感じがする。机の前は蛇腹の出窓。そこに扇風機をおいて回すと以外に涼しい。目を上げると愛宕さんの山並みが見える。机が西側の時はマンションや家の屋根だけで、色合いも乏しく、つまらなかった。
朝の家事をすませると、机の前に座って、ノートPCを開く。開いて何をするか。もう孫にもばれてしまったけれど、スパイダーゲームを楽しむ。ちょっとだけと思ってはじめるのだが、気が付くと昼もだいぶすぎてしまう。目が疲れると、そばのベッドに転がって読書。ベッドにはすでにマロンがながーくなって寝ている。おじゃましないようにできるだけ端っこに横になる。そして読み上げたのが、"ラスト・コード"堂場瞬一。サスペンスである。とても面白くて、暑さを忘れた。
警察の組織と、組織からはみ出た感じの警察官ともと刑事(女性)、殺された被害者(一柳)の娘が主な登場人物。一柳はナノマシンの開発者で、世界でも先端を走っていた。ところが勤めていた薬剤会社が破たんに追い込まれ、彼は中国の勧誘に負けて産業スパイになる。ナノマシンというのは、ナノだから、超小さな機械で、体の中を自由に動き回って、病巣を見つけ、治療もできるというロボットのようなものである。ほぼ完成に近づいていて、後は自由に動けるエンジン部分の開発が残っていた。彼はその肝心の部分を隠して研究成果を中国に売り渡したのである。それをめぐって、殺されたのだった。一柳には娘がいた。妻は事件の2、3年前に死んでいる。家庭があっても研究以外は何の関心もない男なのだった。事件の1年前に彼は娘をアメリカに留学させてしまう。娘は14歳で、父親には何の感情も持たない。殺されたと知らされても、動揺もしない。小学生のとき世界の数学コンクールで大人を抑えて優勝した実績がある。天才なのである。
一柳の研究は国家がらみであった。中国に通じているらしい外務省の高官(大臣?)も影にいて、娘と、はずれ刑事と元女刑事は死にものぐるいで父親を殺した犯人を追い、追い詰める。父親の研究ないようはパソコンに残されていた。娘がパスワードを解明して、PCをひらくことができ、犯人も捕まえ、事件は解決。娘は、新たな道をみつけるべくアメリカにもどってい
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by babamama_123 | 2014-08-05 13:42 | 読む | Comments(0)

猛暑日の夕食

7月末に娘の家族が帰った。その日は昨日までの猛暑が嘘のように涼しかった。下の孫娘はそれほどおおきくはないけれど、2歳上のお姉ちゃんは私と肩をならべるほど背が伸びた。背の高い娘と、義理の息子、一家4人が引き上げると、家が随分広くなって、風通しがよくなった。その上にこの涼しさ。喜んでほっと一息ついたのも束の間、翌日からは以前にもまして蒸し蒸しと暑い日が続いている。朝方はともかく、夕方になると、ぐったりして息苦しいくらい。塩をかけられたなめくじのようになる。孫がいるときはそれでも婆ちゃんの意地でなんとか夕食をつくったけれど、爺婆ふたりとなると、とたんにどうでもよくなってくる。爺さんは上半身裸になってテレビの前にすわったまま動かない。根っこが生えたんじゃないか。それでもおなかはすくらしく、今晩の飯は何か、とのたまう。世の中の老齢の主婦はこんな暑いとき、何を作ってめしあがっているのだろうか。我が家はほとんど連日そうめんに、スーパーの御惣菜。娘が帰って2日もすると、体がむくんで動きにくくなった。これではいけないと、栄養があって、簡単な料理を、とない頭をふりしぼって、やっと考えついたのが下の料理。
野菜たっぷりの精進カレー
冬瓜のマヨネーズあえ、冷や奴
もろへいや、なす、かぼちゃ、ピーマン、こんにゃく、あぶらあげ。(爺さん、お気にめさなかったらしく、ほとんどめしあがらなかった。お鍋に半分以上も残った)
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残り物で作った冷やし中華、茄子としし唐の味噌炒め
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by babamama_123 | 2014-08-01 13:02 | Comments(0)