我が家のオス達

娘がいなくなって、家の中はオスばかりになった。中年の猫、未成年の犬、老人、全部オスである。オスというのは、始末が悪い生きものだとおもう。悧巧なんだか、おバカなんだか、わからない。それでも小さい頃は、やんちゃなぶりも、わけのわからない行動も可愛いと思えるけれど、年をとると何をか言わんや、である。ライオンもそうだけど、吠えたり、恰好ばっかりえらそうにしているけれど、実際は何もできない、しない。我が家のオスは、寒い生か、眠ってばかりいる。朝起きて、餌を食べたら、即居眠り。婆さんは飼育員じゃないから、腹が立つ。オスなんか飼うんじゃなかったとものすごく悔やむ毎日である。
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猫は爺さんの背後でねむっていたのだったが押されてテーブルに退避した。
ニュートンは昨日散髪してもらってさっぱりした。
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散髪前
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散発後

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by babamama_123 | 2015-02-26 12:25 | 日々の記録 | Comments(0)

全員集合

寒さがやわらいだので、物入れから出しておいたお雛様を飾った。
我が家のお雛様は、こけし人形で、五段セットでもとても小さい。確か昔爺さんが買ったのだ。あまりの小ささに、さてはケチって安くあげたんだ、と密かに思った記憶がある。勿論そんなはしたないことは口にださなかったけれど。
数年ぶりに出してみると、ボール紙の箱がバラバラになっていた。同じよううな大きさの箱が部屋の隅にころがっていたので、入れ替えることにした。壊れた箱をつぶそうとひっくりかえしたら、"ひな壇 ¥10,000 天満屋 80・1・4"と書かれたシールが貼ってあった。
35年前、広島のデパート天満屋で買ったのだった。一万円とは結構なお値段だったのだな、35年も過ぎて反省した。ごめんなさい、と密かにあやまっておいた。
小さいので、あちこち分散しておいた人形達、知人から頂いた貴重な貝のお雛様もひな壇のまわりにおくことにした。眺めていると、娘達の小さかった頃を次々思い出され、三人官女の姿に娘達が重なる。官女のようなしとやかな娘たちでは決してなかったのに・・・。今年は一人も家にいなくなってしまった。
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by babamama_123 | 2015-02-24 11:27 | 日々の記録 | Comments(0)

油彩3回目

先週、TVで認知症の予防に、絵を描くこと、描いた絵を人にみてもらうことが、効果あろ、と言っていた。物忘れは年々ひどくなるけれど、今のところ、認知症の症状にまでは至ってないよに思える。(自己判断ではあるけれど) ブログで下手な絵を載せてきたのが効いているのかもしれない、とうれしくなった。下手な絵を見られる方々には気の毒だけれど、恥を忍んで乗せていこうとおもう。
昨年の暮から始めた油彩画、3回目の土曜、そろそろ仕上げにかかろうと張り切って教室に行ったけれど、まだまだ、という結果になった。
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by babamama_123 | 2015-02-23 12:46 | かく | Comments(0)

じじばばの食卓

先週から爺婆と犬猫の暮らしになった。娘は家には寝に帰るだけだったから、家族が減ったといっても日常は変わらないはずだと思っていた。けれど、今まで開けて寝ていた玄関に鍵を閉め、家中の明かりを消すと、この家に人間は二人、それも年よりだけになったのだと実感して、気持ちも真っ暗になる。犬と猫はどう思っているのだろう。なんとなく寂しそうに見えるのは私の思い過ごしだろうか。
大きく変わったのは食品の買い物である。大根、白菜は丸ごと買わない。肉類もあまり買わない。一方娘の嫌がる出来合いものは、堂々と買う。コロッケ、おむすび、お弁当、インスタントラーメンに冷凍うどん。夕食時、作るのが面倒になると、こういうもので間に合わせる。爺さんはどちらかというとこういうのがこのみなので、文句は言わない。でも毎日となると、噴火するのは予測できるのでたまには作ることにしている。
ある晩の献立
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ほうれん草のお浸し
なすと厚揚げの煮びたし
大根とエリンギのエスニック炒め
(ナンプラー、酒、豆板醤、花椒で味付け)
私はおいしいかったけれど、爺様の反応はなかった・・・

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by babamama_123 | 2015-02-17 16:30 | Comments(0)

眠れない夜明け

毎日寒い日が続いている。布団をかぶって寝ていても、肩からに冷たい空気が入り込み、電気あんかをいれていても暖まらない。眠るまでの短い時間本を読むのだが、少しだけだした指先が凍るようにつめたくなって、2、3ページ読んで引っ込めてしまう。やっとねむれそうになった時、まず猫のマロンがふにゃーといいながら冷たい手足を私の体におしつけてもぐりこんでくる。それから続いて犬のニュートンが反対側にもぐりこむ。体の両側を犬猫のおさえられて窮屈このうえない、けれど、とっても暖かい。犬も猫もすぐに爆睡。婆さんもひきこまれるようにねむってしまう。でもそれも3、4時間のことで、トイレに目を覚ましてしまう。それから猫が餌の催促をするので、餌をやり、もうひと眠りしようと布団にもぐるのだが、眠れない。まだ3時過ぎ。しかたないので枕元の本をよむことにする。猫のマロンはお腹がいっぱいになると又私にぺったりはりついて腕をまくらにいしてねむってしまう。犬は足元にずれてこれも爆睡中。手がつめたいけれど、読みだした本のおもしろいこと。おしまいまで止められない。読み終わったら7時過ぎになっていた。起きなければならない。
こんな日が3日ほど続いた。日中なんとなく調子がわるいのは寝不足のせいかもしれない。年なのだから無理もないけれど。
面白い本は、「約束の森」と「眠りなき夜」
前者は天才的な犬、どーベルマンのマクナイトの活躍するおはなし。感動で胸が一杯になった。おもわず足元で惰眠をむさぼる我が家のニュートンをけとばしたくなった。
「ねむりなき夜」は弁護士が同僚の失踪と殺人犯容疑をはらそうと活躍するサスペンス。ストーリーの展開が早くて途中でやめられなかった。
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by babamama_123 | 2015-02-14 15:19 | 読む | Comments(0)

油彩画2回目

やっと少し前進。
教室で、背景をやっぱり変えようかと思う、と言ったら、先生は"えー!!"と大きな声を出された。今以上のものがしっかりとあるならともかく、かんたんにころころ変えてはいけない、とお叱りを受けた。それ以上もなにも、たいした根拠がないので、エスキースにしたがうことにした。2時間黙々と絵筆をうごかしたけれど、仕上がりまでまだまだ。うーん、これでいけるだろうか、又気持ちがかわったらどうしよう。
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by babamama_123 | 2015-02-10 22:32 | かく | Comments(0)

朝からほろ酔い加減

昨年の秋期銅版画教室の最終日のこと、教室の机にみかん箱ほどの段ボールがおいてあった。中は小粒のキウイで一杯になっている。教室の中村先生が、小学校の植え込みにあったキウイの木からとってくれたものだった。スーパー等に売られているのに比べると半分くらいしかない物もあり、とても固い。食べれるのだろうかと聞くと、果実酒にしたり、りんごと一緒に袋にいれて密閉しておくと10日ほどで甘くなって食べごろになるといわれた。ご自由にお持ち帰りくださいというので、私もすこしばかり頂いてきた。しばらく眺めて、ホワイトリカーにつけて果実酒にすることにした。キウイの皮をむき、レモンの輪切りと氷砂糖を入れて漬けこむことひと月あまり。つけたレモンとキウイを取り出し、炭酸でわって、夕食の食前酒に頂いた。キウイのかおりがして、ほんのり甘くとってもおいしかった。取り出したキウイとレモンはミキサーにかけてペースト状にして、毎朝飲む人参ジュースに混ぜ込んだ。いつもより濃厚な味でおいしかった。一気に飲んだら、なんだか足元がおぼつかなくなったような、妙な具合になった。キウイのせいだとすぐ気が付いた大さじ2杯ほど入れただけなのに、キウイはアルコールをたっぷり吸いこんで、度数の高いお酒とかわらなかった。
中村先生は、キウイに肥しをいっれたそうな。来年は立派なキウイがとれるだろう。
銅版画教室、こんなことがあるから止められない。作品のモチーフも浮かばないのに、冬季講座も申し込んだ。
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付け合わせは、クリームチーズのちゃんじゃ和え

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by babamama_123 | 2015-02-07 21:35 | 食べる | Comments(0)


朝一番にTVのスイッチを入れると、後藤健二氏殺害の動画のニュースが流れていた。個人的には楽観していなかったものの、残念な結果になってしまった。ご遺族の心中はいかばかりかと胸が痛む。
毎月第一日曜日は自治会の古紙回収日にあたっている。暮からのの大量の段ボール、新聞紙を束ねている最中、TVではナチスドイツのアウシュビッツ収容所から一人助かった女性の語る声が流れていた。テロとの関連で組まれた番組だろうと聞き流した。
元ドイツ大統領ワイツゼッカー連邦大統領の件は、夜遅く、学生時代の同級生からのメールで知った。

以下はそのメールです。

ドイツ統一後の初代大統領リヒャルト・ワイツゼッカー氏が31日に死去されました。第二次世界大戦のドイツ降伏40年の1985年5月8日に西ドイツ連保議会での「歴史的名演説」として名高い記念演説
「荒れ野の40年」はナチの犯罪を強く批判するとともに「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」との名句で当時のドイツ国民に「責任の自覚」を呼びかけた国際的・歴史的に高い評価をえて、ドイツ統一にも大きな世界的信頼回復におおいに貢献した内容です。実はわたくしも全文を読んだことがりませんでした。昨今の「歴史認識」問題、イスラム国による邦人殺害問題とも関連しまして、この名演説を再度読むこととしました。
以下に、ご参考にお送りします。私もfacebookに載せて発信したいのですが、手順がうまくいきません。できたら和泉さん経由で仲間の方々に読んでいただけたら幸いです。

「「荒れ野の40年」ワイツゼッカー連邦大統領演説全文(1985年5月8日)

2009-05-08 18:47:51
下記は1985年5月8日に西ドイツの連邦議会でワイツゼッカー大統領が行った敗戦40周年を
記念する演説の全文。恐らく歴史上最も優れた演説の1つである。
「5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。
われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべておりす。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた600万のユダヤ人を思い浮かべます。
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
銃殺された人質を思い浮かべます。
ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス——これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。
はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
死者への悲嘆、
傷つき、障害を負った悲嘆、
非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
空襲の夜の悲嘆、
故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆——こうした悲嘆の山並みです。
今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。
彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。
暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。
歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪——これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。
この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。
シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。
目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。
良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。
まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。
物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。
かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか—— このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)——われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。
ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。
ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。
しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。
しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。
故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。
この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。
何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。
五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること——これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。
これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。
1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった——こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。
ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。
いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。
      
戦後四年たった1949年の本日五月八日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。
ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる
五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。
戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。
傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。
——第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。
——人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。
——独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。
——中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。
——東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。
ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。
東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。
人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。
当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。
われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。
われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。
人間は何をしかねないのか——これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。
道徳に究極の完成はありえません——いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。
ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、
ユダヤ人やトルコ人、
オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。 」

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by babamama_123 | 2015-02-01 21:51 | 日々の記録 | Comments(0)