京都御所の枝垂れ桜

枝垂れ桜が満開だと、版画教室の打ち上げで聞いて、早速京都御所に、行ってきた。昨夜の天気予報では晴れは月曜だけで、火曜からは曇りになっていた。今日しかない。朝の片づけとニュートンの散歩をするともう昼に近い。昼ごはんは外でとることにして、11時過ぎにじい様を誘って家を出た。昨夜一人で夕食をしてもらった償いというわけではない。この年になるとお互いいつ見納めになるかしれない、婆さんの仏心からである。四条大宮で薬膳ランチをとって御所に着いたのは1時半。気温が上がって暑いくらいになっていた。枝垂れ桜は御所の今出川通り側にある児童公園に咲いていた。満開である。人も多かった。枝垂れ桜を背景にじい様の寫眞を何枚も撮らされた。遺影にしてくれというんじゃなかろうか、と内心で思った。美しい枝垂れ桜を背景に、普段着のじい様がえらそうな顔をして映っている。婆さんの寫眞も2、3枚とってくれたが、どうみても桜に申し訳なく削除した。デジカメは便利である。最高の花見日和であった。
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by babamama_123 | 2015-03-31 16:03 | 見る | Comments(0)

版画教室最終日

日曜日は、銅版画教室冬季講座の最終日だった。今期は休んでばかりで、作品はほとんどできなかった。中途半端になっている版に修正をかけ、せめて3枚は刷ろうと雨の中を出かけた。
雨は昼過ぎには上がって日も射してきた。帰り際よくみると、元小学校の校門の桜は八分咲きである。夕方の霞がかった空に溶け込むように咲いている。そして先々週はつぼみが小さくてこぶしの花かとおもった木蓮の花が満開になっていた。ずーっと昔、子供たちが門をくぐって、桜の道を入学式にむかったのだな、そらを見上げてぼんやり思った。
最終日なので、今期の打ち上げに近くの中華料理店に行った。
10人余りがテーブルを囲んで、ビール、紹興酒を飲みながら話はつきない。版画の技法から食べ物の話など、いつも参考になる。隣の女性から、手作りのよもぎ餅のことや、梅酢のこと、向かいのケンちゃんからは麹醤油のつくりかたと、御所の桜が満開でみごろだ、と聞いた。
春の講座は今度の日曜から始まる。老体に鞭打って、又通うことにした。行くだけになるかもしれないけれど、老体に鞭打って、ぼちぼちやっていこう・・・
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by babamama_123 | 2015-03-29 14:51 | 見る | Comments(0)

三四郎→それから

朝日新聞連載の「三四郎」は先週百十七回をもって完結した。最後の文章、「三四郎は何とも答えなかった。ただ口の中で、迷羊(ストレイシープ)、迷羊(ストレイシープ)と繰り返した。」
ストレイシープは、半ばでも出てくる。確か、三四郎のあこがれの女性、美禰子が、空に浮かぶ雲をみてストレイシープ、とつぶやいた。ずいぶん昔によんで、このストレイシープと三四郎池、野々宮先生だけが記憶に残っていた。迷える子羊は、百匹のひつじの群れから、一匹の子羊が迷ってしまった時、羊飼いはその一匹を必死に探すでしょう。まして迷える人の子を神様はみしごすことはありません・・・、という聖書には書かれているけれど、美禰子さんはどういうつもりで言ったのだろう。三四郎でなくても引っかかる。これも10年以上昔、初孫の育ババをするためロサンゼルスに滞在したことがあった。孫の一家は2階建ての家の2階部分を借りていて、階下にすむ一家族の主人は写真家で、新聞に載せたりしていた。夫婦二人の家族で、二人揃って大変な猫好きだった。ある日、庭で孫に日向ぼっこをさせているとき、そのご主人も飼い猫を抱いて庭に出てこられた。あいさつの後、家にも猫がいるという話をすると、なにやらたくさんしゃべった後、床下に寝ていた猫を指して、あれは、ストレイキャット、年をとって病気がちなのだと言った。それから家に入り、子猫を3、4匹つれてきて、昨日近くで拾ってきたという。少し大きくなったら里子に出すというようなことを話した。何しろ英語は耳なれないので、せいかくなことはちっともわからない。ストレイキャットははっきり聞き取れて、三四郎のストレイシープを、その時突如思い出したのだった。
「三四郎」は大人になって「それから」に続くという。「それからの「ノートが販売されたので早速購入した。百合の挿絵のついた素敵なノートである。
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by babamama_123 | 2015-03-28 15:16 | 読む | Comments(0)

愛しい息子のために

久しぶりに娘が帰省して、一番喜んだのは、彼女の息子ともいうべきニュートンだった。娘の顔を見るなりしっぽを千切れるほど振って、胸にとびつき離れない。婆さんがごはんをあげても、"かあちゃん"のほうばかり見ている。いつものお座りお手、伏せ、の食前の一連の支持に従おうとしない。
日曜日、爺さんが病院に戻るまでの短い時間を、ニュートンのために、亀岡の奥にある"プルーンの木"というドッグカフェに行った。木立に囲まれたカントリー風の建物で、爺さんのお気に入りの場所でもある。カレーや、ブルーベリーのケーキがおいしいけれど、今日はコーヒーだけという約束だった。が、やっぱり爺さんはチーズケーキが食べたいと言いだした。昼食は済んでいるし、間食は禁止である。というとうらめしそうな顔をするので、娘は一人分を頼んで3人で等分して食べた。おいしかった。ニュートンは"かあちゃん"にひっついてしまって離れない。又置き去りされるのがわかっているようだった。
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クリスマスローズ
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水仙
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おねむになると、母ちゃんのかわりに、クッションをくわえ、とローンとした目でもみもみする
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by babamama_123 | 2015-03-25 15:00 | 日々の記録 | Comments(0)

10日から注射と食事管理のために入院していた、爺様が土日にかけて一時帰宅した。その週の半ば、婆さんは病院に呼ばれ、糖尿病の食事と薬や注射についての指導を受けた。
食事は一日1600キロカロリー、炭水化物、野菜、タンパク質をまんべんなくとること。塩分は一日5グラム、それぞれ素材はきちんと計量すること、かなり細かな内容だった。参考のためにと、この1週間の病院の献立表を渡された。朝昼晩の食事の内容と重さがグラム単位で書かれているが、肝心のカロリーが書かれていない。一食の総カロリーはあるけれど、これではカロリー計算ができない。正直頭が痛くなった。それでもやらねばならぬ。帰宅の晩、翌朝の食事、昼食を作ってみた。周の半ばに、タニタのデジタルキッチンスケールが特売されていたのを買っておいた。一グラム単位で一キロまで計れる。容器を乗せてからスイッチを入れると中身だけが計量される、便利な計りである。三人分の材料を一種類ずつ計量したが、覚えておくのは難儀である。その都度ノートにメモした。ものすごい手間であった。その上、食事を並べて、食べる寸前に血糖値の測定と注射をしなければならない。それは本人がするけれど、促し、確認は婆さんがしなければならない。
土曜日、父親を心配して、娘が帰宅した。京都駅でお魚が安かったのでと、鯛一匹、舌平目1匹を買ってきた。この分カロリーオバーになってしまった。
じい様の夕食
春巻き(キャベツ、春雨、しいたけ、豚肉)
わかめサラダ(わかめ、キューリ、酢玉ねぎ、ごま油、醤油)
玄米90グラム
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朝食
卵とマッシュルームの炒め物
サラダ(キャロットラぺ、干しブドウと酢玉ねぎ、オリーブオイル)
六枚切食パンにベーコンとチーズ乗せ。
コーヒー牛乳(牛乳200cc)
追加 プチトマトおリブオイルのせトースト
デザート ばなな三分の一本
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じい様は明日退院する。いよいよ戦闘開始。アリバイつくりのためにこれから務めて記録をしていこうと決心したけれど、何時まで続くか・・・・・

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by babamama_123 | 2015-03-25 14:34 | Comments(0)

3月3日はお爺さん、舅の命日である。25年前の雛祭りの日に舅は亡くなった。享年80歳。亡くなった時、姑は、「あの人らしい日に亡くなりはった」と言った。どういう意味なのかいまだによくわからないのだが、女の子が産まれるのを待ち望んだのに、産まれたのは男の子ばかり、4人。(次男は一歳に成らないうちに亡くなった)その代わり、孫は4人の女の子と二人のおとこのこに恵まれた。初孫は長男の子供で女の子、5日おいて次男にも女児が産まれて、舅はとても喜んだという。女の子が好きな人やったから、というのがあの人らしい、と言われるゆえんなのかもしれない。
義父は若い頃洋装のショールや洋傘の小売店を営んでいた。私が嫁いできたころ還暦前後の義父は当の昔にそれを止めていて、大阪の会社で働いていた。それでも家のおしいれにはたくさんの洋傘や、ショールなどのこものが残っていて、盆暮れに帰省すると、傘やショールを私や子供達に持たせてくれた。子供達には学童用の黄色い傘、私には折りたたみや柄のついた雨傘や日傘もあった。
子供が産まれてから、義父は孫の帰省を待っていたように、家につくと、孫の手を引いて、近くの公園まで散歩に出た。幼い孫と手をつないで「よい、よーい」と言いながら歩くのだった。
義父さんの家族は、西陣界隈の路地奥にある古い小さな家に住んでいた。居間には長椅子と大きな椅子がテーブルを囲んでいた。上の座にあたる椅子にいつも義父はじーっと座っていた。寡黙な人で、大きな声を張り上げるのを聞いた覚えがない。家に来る人達がは一様に、義父を、「やさしいおひとやなぁ。男前はんやし」と言うのを覚えている。歌舞伎の俳優の誰それさんのようだとも聞いたことがある。面長で、目が大きく、鼻が高い。背も高いほうだから、若い頃は相当の美形にちがいない。歌舞伎には興味がないので誰に似ているといわれてもわからないけれど、高倉健に似ていたような気もする。何にしろ、イケメンであることは確かだった。ちなみに、長男は容姿も性質も義父の遺伝子をひとつも引いていない。背は低いし、目は母親ゆずりで小さい。気は荒く、怒鳴ったりする。
平成2年3月。義父は胃癌が全身に転移して危険な状態だった。末期がんで自宅療養していた。それでも長女の大学合格をしらせると痛みをこらえて、よかったなぁ、と笑みをうかべて喜んでくれた。当時私は働いていたので、義父の介護はしていない。仕事が早く終わった時や土日にお見舞いに行くのが精一杯だった。いよいよ最後の時、お見舞いに伺った。その時ベッドの脇にいたのは私一人。義父は、「何でこないにいたいのやろう」とつぶやいた。それからしばらくして、「わしは、幸せやった。しあわせな男やった。ありがとうな」と「ありがとう」と何回か繰り返した後、「Yをよろしくなぁ」と長男の名前を言った。私、その時なんと応えたのか、覚えていない。黙ってうなづくしかなっかった。(夫には内緒にしてある)
それまで、義父は私にとってどちらかというと親しめる人ではなかった。話し合った覚えもない。けれど、その時以来、義父は本当は優しい人だったのだと、思い出すことが多々あった。「ありがとなぁ」は他の家族は聞いていないという。以来桃の節句の頃になると義父のことを思い出すようになった。
3人の娘たちが成人して、ちょっと油断した私は仕事を止め、自分へのご褒美に、カルチャー教室に通い、絵画や版画を楽しみ始めた。描いている時間がなにより楽しく、それだけでよかった。けれど駄作がたまってくると、こんなことをしていていいのか、やっぱり何か目標というようなものを持たなければとおもうようになった。もともと童話や絵本がすきなので、絵本を描いてみようとおもったのはもうずいぶん前のことだった。そのときうかんだのが、義父の傘である。ストーリーと絵の構想はあるのだけれど、中々物にできないでいる。このままだと、私の未完の遺作に成ってしまうかもしれない。

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by babamama_123 | 2015-03-24 12:42 | 日々の記録 | Comments(0)

道端の草花

ニュートンの散歩道は、小さな草花の花盛である。甘い匂いの元を探すとお庭の沈丁花が満開になっていた。ボケの赤い花も咲いているし、我が家の木蓮も一斉に花開いた。三月の後半を過ぎて、春を感じる。最近ニュートンの新しい散歩道を見つけた。阪急の線路を渡って西に行くと、住宅街の中に広い畑がひろがっている。そのあぜ道が花盛りで、小さな花が草の中で星のように見える。あぜ道の横の塀にはつるバラの枝が一面這っていて、新しい葉っぱがつきはじめている。もう2かげつもすれば花が咲くだろう。何色のどんなバラか楽しみ。東の散歩道と交互に来てみることに決めた。道端の花がきれいなので、午後、ニュートンをおいてかわりにカメラを持って再びやってきた。午前より冷たい風が吹いていた。
ハコベ
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ホトケノザ
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ナズナ(ぺんぺん草)
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オオイヌノフグリ
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ハルノノゲシ
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ヒメリュウキンカ
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by babamama_123 | 2015-03-20 22:15 | 日々の記録 | Comments(0)

今月読んだ本

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今月の始め、昨年の秋に予約を入れた本が8か月待ってようやく順番が回ってきた。「永続敗戦論戦後日本の核心」白井聡著。借りてきてすぐA型インフルエンザにかかり、床の中で熱に浮かされながら読んだ。書かれていることはわかるのだけれど、読みにくい文章で熱が余計にあがってしまった。それから2週間後、絵画教室のNさんが貸してくれたのが、「海賊と呼ばれた男」百田尚樹著である。ただいま下巻の半ばを読んでる最中。最近のNHKの朝ドラまっさんを見て、この2冊の本とつながるものを感じた。永続敗戦は、「私らは侮辱の中に生きている」という文で始まる。(2012年7月16日さよなら原発10万人集会における大江健三郎氏が言った、中野重治の言葉)
著者は、福島第一原発の事故以来、次々と生じた事態は、日本列島に住むほとんどの人々に対する「侮辱」とよぶほかないものだという。そこから侮辱の本質を明らかにし、先の戦争まで遡って日本の国体、戦争と、終戦、敗戦、戦後の国政を論じている。
海賊は出光興産の創業者の話である。敗戦後の日本経済の立て直しに苦労する人物は、まっさんににているところもあると思った。

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by babamama_123 | 2015-03-20 12:35 | 読む | Comments(0)

銅版画今週の作品


マトリョーシカ 塩ビ板 ドライポイント
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おじいさんと傘No.x 銅板ソフトグランドエッチングをドライポイントで修正
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手彩色版
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冬の講座はあと2回で終わる。今季はどうも具合悪い結果に終わりそう・・・
おじいさんと傘、修正をつづけるかどうか考え中。

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by babamama_123 | 2015-03-18 12:51 | かく | Comments(0)

早春の花々

3月13日の金曜日、大阪の友人に誘われて、春を告げる花、セツブンソウを見に西へ向かった。友達は、今度の誕生日に自動車免許更新を迎えるにあたって、思い切って返納することに決めたという。だから、これが最後の長距離ドライブになるかもしれない、と名残惜しそうに愛車を運転した。私は去年更新の時期だったが、返納というより、更新をしなかったので、免許は自然消滅してしまっている。お互い50代で免許を取得して、これまでずいぶんた楽しませてもらった、人生で唯一、最高の幸せだったわね、などと話しながら、彼女は3時間近くを通して運転した。
目指すは岡山県美作の農村にある畑。そこに山野草が保護されているという。少し道に迷ったけれど昼過ぎ無事到着。残念ながらセツブンソウは終わって、ちらほら残っているだけだった。けれど、アズマイチゲの盛りで、畑の斜面を白くそめていた。
私の目的は、小さな花を大きく、美しく写すこと。そのためにマクロレンズを内緒で買ったのだ。今回もマクロレンズをセットしてきた。ところが、絞り優先、背景はぼけあじにと、花を接写しようとするのだが、焦点が中々決まらない。なにやら計算しているらしい音がするが、十回に1回くらいしか焦点がきまらないのである。なぜだ、とぶつぶつ言っていたら、大きなレンズを備えた人が、シーンモードの花にしたらどうですか、と教えてくれた。津山から、やはり山野草を撮りにきたという彼は、どこか時の総理大臣安倍晋三氏に似た面影をしている。と私がいうと、友達はそうかなー?と興味なさそうだった。言われる通りの設定で写したところ、なんということなくうまくいった!まだまだカメラも勉強しなければいけないと痛感した。そのためには、身体が覚えるまで撮り続けること。残念ながら、中々その時間を獲るのは難しい。
セリバオウレン
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フクジュソウ
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ユキワリイチゲ
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アズマイチゲ
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セツブンソウ
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by babamama_123 | 2015-03-14 23:20 | 歩く | Comments(2)