2011年 07月 09日
節電、ではないけれど
汗をながしながら洗濯ものを絞りつつ、わたしは自分の若かったころの母をおもいだしていた。10代の終わりころ、我が家にも電気洗濯機が入った。絞り気はゴム製のローラーで、ローラーの間に衣類をはさんで、手でローラーをまわして絞るのでえある。母はとても便利だと喜んでいた。又私がもっと小さかったころ、母は台所の奥のコンクリーとのたたきに、大きな木のたらいをだし、井戸で水をくみいれ、洗濯板を渡し、たらいの前に腰をおろしてゴシゴシやっていた。洗濯機がくるまでずーっとその格好で家族7人分の洗濯をこなしていたのを覚えている。たいへんだっただろうな。腰がいたくなっただろうなー。当時を思えば天と地くらいちがうほど便利なよのなかになった。それもみんな電気の力のおかげでなのだ。
その電気、ここにきてたりなくなってきた。原発に問題があるからだ。私は、ずーっと前から原子力発電は、人類が扱うには問題が多すぎて危険だとおもっていた。反原発派なのだ。どんなに問題が解決されても、放射能は解決できないからだ。原発を動かす限り放射性廃棄物・死の灰はどんどんたまっていく。放射能の半減期は万年におよぶものもあるという。もしなにかの事故でそれがもれたら、土壌も海も汚染されてしまう。たべるものがなくなる。身体がおかしくなる。それに、発電の原料となるウラニウムだって天然資源で、たっぷりあるわけではない。このままいけば、石油のようにやっぱり枯渇するのではないかしら・・・・、などと考えるからだ。といって、今すべての原子力発電所をとめてしまえば、電気がたりなくなるのもあきらかなことだ。節電してもおいつかないだろう。でも、若かったころにもどって、洗濯ものは手でしぼり、夏は団扇で涼み、氷も、冷たいビールも我慢して、・・・できるかな~。そうやっておおきくなってきたのだけれど、一度甘い汁をすってしまったこの身、いつまで我慢できるか。明日全自動洗濯機を買いに行く。
by babamama_123
| 2011-07-09 17:41
| 日々の記録
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