おしまいまで読んだ本

寒くなるにつれて、婆さんのこころにも重い雪雲がたれこめてなかなか気持ちが晴れない。じっとしていることもできないので、いつも通りうごいてはいるけれど、なにをやっても思い通りにならなかった。気をはらそうとあれこれ読んだけれど、おしまいまで読んだ本は三冊。「ネコのゆりかご」、「おかれた場所で咲きなさい」、「こころの力」。三冊にはなんの脈絡もなくう乱読もいいところだ。
「ねこのゆりかご」
文庫で2、三ページの短編からなるSF小説である。
広島に原爆が投下されたとき、その発明者である科学者は何を考え、何をしていたか?その科学者の伝記を書こうと主人公は思い立つ。科学者はすでに亡き人で、遺児を探し、訪ねるところからお話ははじまる。
原爆製造者の心境とネコのゆりかご、意味深長だなとよみはじめたのだったが、これは究極のナンセンス物語だった。それでも真実をついているところもあって、電車の中で吹き出しそうになるのをこらえてしまいまでよんでしまった。オカルト宗教あり、あやしげな国と、統治者あり、ユーモア(ブラック)というかだじゃれあり、とってもおもしろかった。読み進むうち、学者の伝記をかくという目的は消えて、主人公はあやしげな国の統治者にまつりあげられ、学者の発見したもう一つの業績、アイスナインで、主人公を含め、人類は壊滅する。ちなみに、ねこのゆりかご、というのはあやとりのことなのである。原爆が広島の上空でさく裂したその時、学者は、刑務所から送られてきた本を結わえていた紐でねこのゆりかごをつくっていた、とその娘は語った・・・・父親はノーベル賞を受賞はしたけれど、日常生活は無為無策の人間であった。
「おかれた場所で咲きなさい」
本屋さんでみかけて気になってはいた。二月ほど前、実家のあった千葉県に住む妹がそのほんをもっている、というので、貸して、と言うとすぐメール便でおくってくれた。
いわれていることはすべてもっとも、かくあるべきとおもうけれど、咲けない花もあるんじゃないの?とひねて考えてしまう私なのであった。私は、もはや、置かれたばしょで、しおれなさい、と受け止めるしかない。
「こころの力」
夏目漱石の「こころ」の続編を軸に、現代の生きにくさがかかれている。著者がいうには、凡人は、生きにくい世の中ではあっても、自死することはない・・・中庸であることで救われるというようなことが書かれていた。その箇所を読んだとき、半世紀前の大学の入学式で学長が「中庸」という言葉をくりかえしていたのを思い出した。中庸は中途半端ということではないかと、私は好きになれない言葉だった。
夏目漱石の小説はすきで、結構読んだけれど、こころ、だけはどうしても、おしまいまでよめなかった。
先生の心境についていけないというか、単純おばかな私には高尚すぎるというか、無理な話なのだった。秋口まで、朝日新聞に初版の形で連載されたので、すべて切り抜いてとってあるけれど、ところどころしか読んでいない。この本を読んで、もう一度挑戦しようかという気になった。
今、朝日は「三四郎」を連載中である。こちらのほうが面白い。野々宮さんが寺田虎彦のことらしいとしって興味倍増である。三四郎は、単純さにおいて、私に近いと思う。
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by babamama_123 | 2014-12-03 15:00 | 読む | Comments(0)