不甲斐ない私

今年の8月は、私にとって、格別厳しかった。
平年を超える暑さに加えて、猫のマロンが病気にかかった。きつい黄疸でかなりの重症だった。
歩いて10ふんたらずのところにある動物病院に、マロンを入れたケージを肩にかけて2週間近く毎日点滴を受けに通った。休診日も特別に開けて診てくださったので、月の半ばには黄疸もほとんど消えて食欲も出始め、点滴は1日おきから2日おきになった。
2日病院をあけた21日の月曜の朝、診察台で点滴を受けている最中に、ポケットに入れた携帯電話が鳴った。どこでも病院内での携帯電話の使用は禁じられている。携帯をみると義弟の名前が表示されていた。看護婦さんの了解を得て出ると、Sがあぶない、と早口で言う。診察中なので追ってこちらからかけなおすといって電話を切った。点滴は5分もしないうちに終わった。会計を済ませ、病院の外にでてからすぐにかけなおすと、たった今亡くなった、と言った。
夫は3人兄弟の長男である。電話かけてきたのは次男で、亡くなったのは3男で末弟である。詳しく聞くとその朝義弟は知らせを受けて木津の病院にかけつけた。そのときはもう意識不明だった。病名は悪性リンパ腫。入院するまでまわりの人は気が付かなかったらしい。
かえってすぐに夫に告げると、今すぐにでも病院に会いに行くと弟に連絡した。義弟は夫の身体を心配してだろう、亡くなってしまったのだから来なくてもいいというような話に聞こえた。
それでもどうしても行くというので、奈良線の電車にのろところまで私がついてゆくことになった。
その日はマロンのことばかりではなく、犬のニュートンが朝ペットサロンに行き、5時頃もどってくることになっていた。私はその時間には家にいなくてはならない。木津まで同伴するつもりで、帰りの時間を7時までにのばしてもらえないだろうかと、問い合わせたが、6時以降は引き受けできないといわれた。もう1時すぎである。やむを得ず京都駅までにしたのだった。
夫も私も普段着のままですぐ家を出て桂川駅から京都駅に向かった。桂川駅で身障者割引で往復の切符を買った。同伴者がいないと割引は使えない。それで結局木津までどうこうすることになったのだった。木津まで電車で1時間はかかる。5時に帰ってこれるか危ない時間だった。東京にいる娘に6時に伸ばしてもらうように、携帯でんわの電池残量がすくなくなっていたのでラインで連絡した。
木津駅には義弟が待っていてくれた。そこで私はかえるつもりだったが、病院はすぐ目の前だから会っていかないかということになり、亡くなった末弟に会った。優しい人だった。家族は勿論、私の娘たちにも優しかった。私が夫のことで困ったときには気遣ってくれた。
感謝の気持ちをこめてお別れの合掌をして病室を出る間際に義弟のお嫁さんによびとめられた。
これからのことでうちあわせしておきたいという。
この先のことはすべてここから始まった。長男の嫁で一番の年長者でありながら、私は長男のよめになったときからすでにそのようにはみられていなかった。
お義姉さん、といって皆から離れた部屋の片隅に連れていかれた。
お通夜は明日の晩、葬儀はその翌日の午前中になる。
今日こうしてお別れにきたのだからあ通夜は来るのやめましょう。お義兄さんもしんどいでしょうし、私らも通夜はしつれいするから。気にしないでね。義兄さんに言ってね。
このところ夫は足取りがおぼつかなく認知症の気もでているのは確かだ。けれどその夫を気遣ってのことではなく、むしろ来てほしくない気持ちが、その場のの雰囲気からあきらかにつたわってくる。今までの夫の行状、とりわけ冠婚葬祭のばでのふるまいには、嫌悪感をもつひとがいても不思議ではない。某弱無人というか、時と場所をわきまえないはしゃぎぶり、しかもだれもそれをおさえることができない。私は勿論だ。だからそうさせてもらいますと言った。かえりの電車で明後日京都駅でまちあわせの時間を決めて、京都駅で別れた。帰り際、飲んで帰ろう、と夫が義弟をさそうのを止めるのにすこしばかりごたごたした。
翌日の夕方遅く、義弟から携帯にでんわがあった。(夫は携帯をなくしてからしょじしていない)
 娘が花代を出したいというので、Mさんに聞いたら受け取るというので、だすことになった。あしたの葬式場で娘たちの名前が書かれた花輪がかざられてるから、驚かないように言っておこうとおもって、というないようだった。
葬儀は家族葬で、香典等は一切いうけとらないことにしている、ときいていた。けどお花のことまでは及びもつかない私である。でも聞いた以上は、私にも遠方とはいえ3人のむすえがいる。東京の長女に話をすると、3人のれんめいで渡してと頼まれた。すぐに故人の奥さんに電話をしたがつながらない。通夜の葬儀場にいって家は留守なのだ。連作先をきこうと義弟にかけたが携帯も家もつながらなかった。しばらくして義弟からかかってきたので、連絡先を教えて、と頼むと、ほんにんがここにいるから代わるという。あら、通夜にでたの?ときくと、どうしてもきてくれとたのまれたので、といって電話を代わった。娘たちの意向を伝えて受け取ってもらえることになった。(結果は花の注文ができなかった、とうけとってもらえなかった)
葬式の朝、待ち合わせより1時間早く着くように家をでた。ホームの上にあるカフェで簡単に食事をとり所用をたして、無事時間前に合流。電車に乗る寸前にまた義妹に呼び止められた。
 あしたの火葬場のことだけど・・・。葬儀が終わったらすぐに火葬場に向かうことになってる。義姉さんたちどうする?火葬場は待ってる時間がながいし、お義兄はしんどいでしょ。葬儀まででもいいんじゃない。わたしらはいくけど、きをつかわなくてもいいから。行くか行かないか、今すぐ決めて。あちらにすぐれんらくしておかなければいけないから。参加する人数のことがあるから。おひるごはんのこともね
 といって携帯でんわを渡された。わたしは、その時よくかんがえればよかったのだ。すくなくとも夫に言うべきだった。しかしおっとからはなれて、きこえないところでいわれたし、いそいでいるようでもあったし、夫の葬儀場でのこうどうのこともあって、じゃあしつれいさせてもらうといってしまった。携帯電話を渡されて、火葬場はしつれさせてもらうといってしまった。
 葬式は家族と近親者合わせて10人足らずでしめやかに、滞りなく済んだ。霊柩車の待っている出口に全員が流れる。義妹がよってきて、私たちは終わったらここにもどってくるけど、義姉はかえるんだから忘れ物ないようにいますぐ全部持ってきて。早くタクシー呼んでとせかすように言う。
出口でもたもたしながら、葬儀場の人にたくしーをたのんでいると、夫が来てなんでや、という。私たちはここでしつれいすることになってるから、というと、なんでや、なんでうちだけかえらなあかんのや、とさわぎだした。とうぜんである。きめてしまったことだから、といっても聞かない。あたりまえである。夫の実の弟の火葬である。ここまできて、夫だけ帰るというのはふじぜんである。いくらいたらない、はなつまみのにんげんであろうと、人の気持ちを無視した自分の行為になさけなくなりなみだがでてきた。たくしーはよんでしまったしどうしようとおろおろしていると、そうぎじょうのひとが、行ってあげてください、と言ってくれた。義妹にひたすらあやまり、昼食の件は別室でまつなりしますから、というと
そななことできひんやろ、みんなが食べてるとこ、指くわえてみてるんというんか、たべてるほうもしんどいは、といわれ、つまっていると、葬儀場の人がいくらでもへんこうできますから。もうついかしておきました。とささやいてくださった。
すったもんだはあったけれえど、甥の車で無事お骨を拾うことができた。
帰りは勿論私達だけ火葬場から木津駅に直行。夫はそのときにになって、もうそうぎのことはひとこともいわない。それいらい今日まで亡くなった弟のことはひとこともない。
私はいまだに葬儀場のあれこれを思い出して情けなさがこみあげてくる。
葬儀は、生きている人たちのためのものなんだとあらためて思う。生きてるものが故人をしのび、げんせでの絆を確認するためにひらかれるものではないかと。
私たちの場合も近くそういうことになる。今のうちに娘たちに、私自身の場合のときにはどうするかつたえておかなければならない。
義弟の冥福を心よりお祈り申し上げ、葬儀場でのことはこれで水に流そうとおもう。
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by babamama_123 | 2017-08-27 18:00 | 日々の記録