2009年 12月 28日
スキニーパンツ
2009年 12月 26日
インフルエンザ?
爺さんが入院している病院の内科で診察を受けることにした。問診票に、頭痛、腰痛、少々の咳、微熱、・・と身体のありとあらゆる不具合を書き連ねて、待つこと2時間。簡単な触診の後、血液検査、胸部レントゲン、尿検査に回された。検温の結果は37.1度だったが、しばらくすると36度になっていた。体温計がおかしいと看護婦さんにいうと再度検温して、36.4度におちついた。熱はないのだ。それからさらに1時間待って検査結果の記録を医者から知らされた。どこもわるいところはありませんよ。薬も必要ないでしょう、と、医者から数値がびっしり書かれたA4の紙2枚を頂いた。インフルエンザ:-、そのほか中性脂肪、血糖値、血圧など、いずれも正常値範囲の中ほどだった。貴重な時間を多くかけて、なんだか少しがっくりして、喜べない婆さんなのだ。頭痛も腰痛も気力も、本当のことなのに、これでは又、やる気がないからだと、家族に言われてしまう。でも婆さんは実際病気なのだ。身体は正常でも、心が風邪をひいているのだ、と思う。次は精神科にいこう。
2009年 12月 15日
爺ちゃんは今
先週の月曜の夜、家に入るなり、爺さんは身体の不調を訴えた。胸苦しく、しんどい、とという。車を降りて、どうしようかと思ったと言う。爺さんは日曜の昼前、鳥取方面に行くと言って車で出かけたのだ。火曜日から入院して、15日には大きな手術を受けることになっていた。手術の結果次第では入院が長引くかもしれないと、今のうちに行っておこうと考えたのだろう。青森、広島、そして鳥取。手術の必要な身体で無謀ではないか、と婆さんは少しばかり諌めはしたけど、じゃあ一緒に行ってあげましょうとは言わなかった。というのも、爺さんの行き先は婆さんにとっては、思い出したくない所だったから。
しんどい、しんどい、と爺さんがしきりに言うので、婆さんは悪い予感がした。
「今から病院に行こうか、」と婆さんは電話に手を伸ばした。爺さんは、「こんな時間に先生がいるか、」という。
「救急車は24時間走っているし、この前行った時、先生は夜中の3時までいますって言ってたでしょ。」
「誰や、なんていう先生や」
「N先生だったかな~」
先生の名前までは婆さんの記憶になかった。
「そんな名前の先生じゃなかった。いいかげんなこというな。お前は、いいかげんなやっちゃ!!」
しんどいという割には、爺さんの声は大きく勢いがあった。爺さんが婆さんに言うことは昔からきまっている。婆さんの耳にタコができているくらいだ。むかついたので、「勝手にすれば」と、まけずにきつく言ってやった。階段も登れないくらいしんどいと言っていた爺さんは、すたすたと階段を上ってベッドに横になった。少しばかり気になったので、婆さんが寝る前にそっと爺さんの部屋をのぞいてみると、ベッドのまわりに2,3個の電気スタンドを煌々とつけ、枕元の小型TVをつけっぱなして、見ているのか、いないのか、おとなしく寝ていた。
朝、娘が出勤したすぐあと、爺さんは珍しく早く起きてきて、
「ゆうべはしんどうて眠れんかった。今すぐ病院につれていけ」と言った。
京都桂病院は西山の麓にある。9号線千代原口五叉路を曲がって急な坂道を登りつめたところだ。車で行くのは気が進まない。車を走らせてすぐに、爺さんは婆さんの運転に文句をつけた。いつものことなので、聞かないふりして、慎重に運転して病院にたどりついた。外来の窓口をとおさずに診察室に直接行き、身体の状況を話すと、すぐに診察をしてくれた。丁度入院の時間にもなっていたのだった。診察が始まって10分もたたないうちに、先生が来て、今からカテーテル手術を行うと言われた。心筋梗塞を起こしていて、すぐに処置しなければいけないのだという。さらに、発作がおきてからだいぶ時間が経過しているので状況が悪いと言われた。昨日の内に来なければいけなかったのだ。
手術は10時から始まって16時ちかくまでかかった。今度の病院は手術室の様子が皆目わからない。面談室から動かず待っているように言われた婆さんは昼ごはんも食べられず、お茶1本でじーっと、待った。8月の手術の時がちらちらと蘇る。今度は駄目かもしれない・・・、お葬式をどうしよう・・・、いろいろなことが思われて6時間は瞬く間に過ぎていった。
手術が終わって、集中治療室に入ると、爺さんは顔色もよく、目をしっかりあけて元気だった。
担当医の話によると、8月に入れたステントの上部が梗塞して、しかも時間がたっていたので、硬くなっていたとのこと。その分カテーテルが通りにくくて時間がかかってしまったのだった。さらに、心臓の下部の機能が弱ってしまい、心筋梗塞を起こす前を10とするなら、今は5しかないという。それは今後もう回復しないのだと言われた。血圧も下がり、予定のバイパス手術はしばらく見合わせることになった。これから1週間、心臓の働きを補助する機械を入れているし、心臓に穴があいたり、心不全を起こす危険があるという。
昨日の午後、爺さんはめでたく集中治療室をでて、一般病室に移った。集中治療室では、今まで見たこともないほど大人しく神妙だったのが嘘のように元に戻っている。身体の中は元に戻らないというのに。それを承知の上で、婆さんはなんだか自分が馬鹿みたいだと、またしても思うのだった。爺さんは病院内を歩くリハビリをして、間もなく退院することになりそう。バイパス手術まで自宅待機らしい。それもちょっと~・・・である。
手術前の爺さんとマロン

2009年 12月 02日
直指庵の紅葉
糺の森が12月にはいっても紅葉がきれいだというので、そこに行くつもりだったが、前夜、家から近くの嵯峨野の直指庵の紅葉をTVで映していた。このところ、おしりに根をはやしたように動かない亭主をひっぱりだして、朝のうちに車ででかけた。
直指庵は大覚寺の裏手にある山の中にある小じんまりとしたお寺である。お寺の周囲は竹林に囲まれ、紅葉の葉の間に竹の緑がちらちら見える。日が射すと紅葉が燃えるように赤く輝いた。
風のない穏やかな日だった。それでも、はらはらと紅葉が散って流れる。秋から冬へ移る時期なのだ。落ちてゆく葉や、茶色く立ち枯れた葉をみると、ものの哀れを感じると言いたいところだが、この日はTVの影響で人手が多くじつににぎやかだった。平素はきっとしんと静まり返って寂しいくらいなのだろう。参拝の人たちのほとんどが私たちと同じように年配だった。
できれば、立ち枯れの葉ではなく散り際の美しい葉でありたい・・・なんて秘かに思う婆さんでした。



