2014年 11月 26日
帽子を編んだ
大判ストールはボタンをつけて、袖になるようにしたてたのだったが、ボタンの位置を間違えてつけてしまった。まっいいかと試着してみたら、どうも見た目がよろしくない。それに重たい。2014・ババコレの一品にしよかと張り切ってつくったけれど、とても外に着ていける代物ではない。ほどいて巻きスカートにでも作り直すことにした。
帽子も気に入ったのがのってる本があったので、ニュートンに邪魔されながらも(目を外された!)なんとか編み上げた。さっそくかぶって娘にみせたら、おかしい!、よりばばくさくみえる!という評価だった。自分でも鏡に映してみたら、さもありなん、がっくりして2度とかぶる気にならなくなった。帽子大好きなのに、どうしてこう似合わないのだろう。スキー帽みたいのはとしよりむきじゃないのかもしれない。毛糸はまだ沢山のこっている。今度はツバのついた帽子をつくってみようとおもう。婆さんは、幸い、白いけれどたっぷり毛はあるので、別に防寒用の帽子は必要ないとはおもうけれど、何故か帽子にひかれるのだ。下手な絵も額縁に入れると見られるようになるように、帽子一つで婆さんも少しは見た目が良くなるかもしれない、という淡い希望を捨てきれないのである。

2014年 11月 25日
晩秋の午後
翌日の今日、ブログに写真を乗せて、葉っぱの絵も描くはずだったのが、PCのトラブルにてこずりはやくも夕暮れです。なんとかトラブルは解消できたものの、今日もおもうようにならない一日でした。





買った渋柿をハンガーに結わえて、軒下につるしました。一月後には甘い干し柿ができるはず・・・
2014年 11月 10日
絵画三昧の週末
国際版画展では出品点数の多さに圧倒され、創画展では、洋画?と見まちがえるほどの日本画に首をかしげた。色彩のあふれる大きな絵の多い中、沖谷先生が描かれたお嬢さんの絵が際立ってすがすがしく見えた。白いブラウスにプリーツスカートの制服を着た娘さんが、口をすぼめて正面を向いて座っている。高校生になったばかりで、子供のあどけなさが少し残った純真な乙女が、大人への入口で戸惑っているような表情に見えた。
石膏の静物画にザーッと色付けしてみた。この先どうしようかとひとりごちていたら、予想する完成画をちいさいのにかいてみることです、と先生に言われた。予想できればせわないのだけど・・・・。

銅版画は、失敗に終わった2作目"母さんの歌)を塩ビ版に彫って試し摺りをした。アクアチントのかわりに、ボンドや、セラミックスタッコというのを筆で塗ってみた。インクをのせたら、はがれたのかまだらになってしまった。もっと調子をつけたらよくなりますよ、と先生はいわれるけれど・・・。しばらく眺めて考えましょう。

2014年 11月 07日
信州蓼科の秋ー2 レストラン ディ モアにて
店内は20人も入ったら一杯になるくらいで、窓際や棚にワインのボトルがずらーっと並べられている。壁には、誰の作品かきいたけれど忘れてしまった、エッチングのバレー姿の女性像が飾られている。全体暗い照明で、ステンドグラスのランプシェードから明かりがふわっと店内を照らしている。
いい感じじゃない、と娘と話しているところに、マダムと思しき女性がメニューを持って来た。逆三角形の顔に、携帯ストラップのドコモダケの暈のような髪型が似合っている。黒いロングのワンピースを着て、パッと見た瞬間、絵からぬけでてきたような姿だ、とまず驚いた。次にびっくりしたのは、テーブルに置かれたペーパーマットだった。わら半紙風のかみに鉛筆画と詩が描かれている。3人とも違った絵と詩で、とてもセンスがいい。料理を運んできたマダムに、なかなかいいですね、と話しかけると、それは私がかいたものです、自己流なんですよ、と言われた。ご主人のシェフも、ふっくらした穏やかな人物で、感じがよかった。
テーブルについてまもなく、奥のテーブルに5、6人の家族らしい予約客がやってきた。
今日は金婚のお祝いなのだそうです、とマダムが言った。私の席からは主賓の金婚のご夫婦は背中しかみえない。前にすわっているのは招待した息子なのだろう。丸顔に眼鏡をかけて、おだやかな笑顔の人物である。金婚というのは結婚して50年。ご夫婦は私達とほぼ同じ年配ではないかと思われる。細身に黒いスーツのご主人は、横の車いすの奥様に、お料理を、お皿にとりわけていられた。ちらっと見えた横顔が優しく静かで、ご夫婦の50年もきっと穏やかに流れたのだろう想像した。あと7年後には、私達も金婚を迎えるだろけれど、暴風の吹き荒れる荒波の海に浮かぶ船に乗った年月だった・・・・。こんな穏やかな金婚式は望むべくもないと、爺さんの横顔を見つめる婆さんだった。運転手の娘はお酒は飲めないのに、おいしいワインを注文している。ばあちゃんの誕生祝だと思えばいいじゃない、という言葉にのせられて、予算外の食事をしてしまった。足りない分は娘の支払いとなった。
帰り際、入口横のオルゴールから、アニーローリーのメロディーが店内に響き渡った。
お店の名前はDis Moi(私に言って、とか私に教えて、という意味らしい) また来たいお店である。



2014年 11月 05日
秋の信州蓼科 -1
京都を昼近くに出発。高速にのってしばらくすると予報通り雨が降り出した。中央高速道の右も、左も雨に煙って山の稜線が全く見えない。街路樹は赤や黄色が鮮やかで、晴れていたら美しい眺めだろうに。少しでも晴れ間が見えますように、と祈る気持ちで、ひたすら走ること5時間。茅野から北に半時間あまり走って寮に着くころは、とっぷり日が暮れて、雨は止んでいた。
朝、寮の東側は明るく、林の木が濃く影を落としていた。晴れ女に嘘はなかった、とほっとする。信州は、高地は冬支度だろけど、里は秋たけなわで紅葉がきれいだろうと期待して来たが、寮のおじさんに、「半月遅いよ。紅葉は終わっちまった」と言われた。言われた通り、寮の庭も、道路も落ち葉が降り積もって、昨夜の雨で濡れて、歩くとすべりそうになった。ぬれ落ち葉は、危ない、危ない・・、爺婆に重なって見え、哀れになった。
二日目は新蕎麦を味わい、秘湯にゆっくりつかり、縄文土器のある尖り遺跡を訪ねた。夕方になると外を走る車も少なく、静かな里の秋、だった。
翌日も朝から快晴。晴れ女の要望で、塩尻方面に走り、小野の造り酒屋、「夜明け前」により、木所毒に、運転手以外はきき酒を楽しみ、さらに、ワイナリーでもたっぷり試飲して、道路沿いのリンゴ園にたちより、ジュース用の傷リンゴをゲットして、8時に京都着。高速を降りると、ニュートンをひきとりに、アヤハディオへまっしぐら。家に着くと、マロンの泣き声が外まで聞こえてきた。マロンはすっかり怒って、シッターさんに一度も顔をみせなかった、と記録されていた。
寮の庭(2日朝)



秘湯「明治温泉」からの眺め

ほうずきとモミの木のかさ(明治温泉)

尖り遺跡の縄文のヴィーナス

縄文の衣装をまとった晴れヴィーナス

夜明け前の酒屋
