人気ブログランキング | 話題のタグを見る

広島ー3

まずは原爆ドームに向かう。昔市電の窓から毎日ドームを見ながら通勤した。ドームは元安川を渡ってすぐのところで、ここから広島市の中心部に入る。平和公園はドームの対岸にだけど、結構な距離なのでいかなかった。鉄骨が白っぽくなって、白骨をおもわせる。ドームの近くには、九条を守る会の人や、原発利用を国民投票で決める法律を作ろうという人が署名運動をしていた。二度の原爆投下、久保山さんのこと、そして原爆マグロ、放射能の被害を何度も味わった私達日本人。源発も原発も同じ核の連鎖反応によるもので、残留放射能の問題は今までも、これからも解決されない、ということを充分しっているのに、一体何が原発促進にかりたてるのだろう。なんだか半世紀以上前に理由なく焼かれてなくなった人達の魂が浮かばれないだろうなと、思った。

京都の市電も、ドイツの市電も、いろんな種類の市電が走ってます。
広島ー3_f0095745_1701951.jpg


広島ー3_f0095745_1705637.jpg


広島ー3_f0095745_1712234.jpg


平和大通り
広島ー3_f0095745_1734951.jpg


原爆ドーム
広島ー3_f0095745_1744664.jpg


広島ー3_f0095745_1752018.jpg


お好み村とお好み焼き
広島ー3_f0095745_1761943.jpg


[
広島ー3_f0095745_1712787.jpg


広島ー3_f0095745_178325.jpg


# by babamama_123 | 2012-06-11 17:08 | 歩く | Comments(0)

広島ー2

娘がネットで予約してくれた宿泊先は、ホテル法華クラブだった。鯉城通りの東側、平和大通りから少し北に入ったところにある。ここしか空いてなかった、と娘はいうけれど、始めて広島に来たその日宿泊したホテルだったのを思い出して、因縁を感じた。
30年近い前の3月下旬、高松から夫の転任先である広島に移転したのだった。4月から長女は小学校5年、次女4年、末娘は2年生になる。私は今の長女より1,2歳上だった。転勤先が広島と知った時、すぐにおもったのは、原子爆弾のことだった。投下されてから40年以上たってはいたけれど、放射能が心配だった。けれど、目にした市内の様子は広い道路に立派な街路樹が並び、新しい高層ビルが立ち並ぶきれいな町なのに驚いたのを覚えている。家は西広島で爆心地から10キロくらいのところだった。そこは戦前からの古い家で、借家が3軒ならんだ真ん中の家だった。南側の家と我が家は似たような作りで、広い敷地に畳一枚ほどの池があり、池には灯篭と橋がかかり、池の周りの小さな築山に立派な松が植わっていた。北隣は噂によると大家さんの兄さんだかがすんでいたけど、今は行方不明で、玄関の戸は壊れ、畳はなく、床板が落ちて、どろだらけ、屋根もくずれた廃屋で、なんとも気味の悪い家だった。私の家にしても、しんと静まった夜には、柱だかなんだか、ピシッ、ピシッという音がした。小学校は家の路地を出て5分ほど歩いたところにあり北に山がせまっていた。天候してしばらくしてから、校庭のあちこちに、いまもって人骨が埋まってる、と子供達が話していた。
 時間があったら、市電にのって昔の古巣を訪ねてみようか、という気持ちはあった。が、娘と別れて、歩き始めるともう2時過ぎだった。それに最大の目的は、お好み焼きを食べることと、アンデルセンの本店でおいしいものを食べ、きのきいた雑貨をみること、だったから、市内をゆっくりうろつくことにした。
 広島には3年住んだ。あとの2年は街の中央あたりに毎日通った。住み始めて1年目、私はアルバイトで覚えたコンピューターのプログラムを作る仕事を始めていた。見た覚えのある建物に当時を思い出しながら、メイン道路を歩いたのだったが、方向音痴と、記憶違いとで、自分が通った道ではなかったと、夕がたになってやっと気がついた。
 紙屋町の交差点に、たしかそごうがあって、そこに広島太郎がたっていた、とおもいながら歩いたけれえど、紙屋町についたのは6時ころで、脚がつりはじめていた。
 広島太郎というのは、当時TVにもでた有名人であるけれど、長髪を細い三つ編みにして、髪の毛の間に5円玉が結わえられていた。たしかいつも黒っぽいロングコートをきていて、こーとには、空き缶などがたくさんぶるさがっていた。人目を引く不思議な人物で、デパ地下で試食しているのをよくみかけた。仕事先で若い男の子に聞いたはなしだけれど、太郎氏はもと某大手会社のサラリーマンで、結構な地位にあったが、管理社会に幻滅して辞めたのだとか。自宅もあって、往きつけの酒場もあるのだとか。あの容姿からどうにも結びつかない話をきいて私は唖然としてしまった。
あれから30年、太郎氏は多分70代になっているのではないか。どうなっているのだろうか、とても興味がある。

# by babamama_123 | 2012-06-11 16:33 | 歩く | Comments(0)

広島顛末記ー1

娘が知り合いの結婚式に招待されて広島へ行くことになった。娘は和服で参加したいから、車で行くと言う。ならばと私は便乗させてもらって、広島見物をすることにした。 九日の朝は5時に出るはずだった。参列者は12時にホテルに集合して、バスで式場に向かう。その前に到着して和服にきがえなければならない。広島まで高速を走っても5時間近くかかる。5時出発は必須だろう。なのにその日彼女が起きたのは6時。前夜も残業で終電での帰宅だったから、無理じゃないかと思ったけれど、用意万端整えて5時前から起きている私はなんだか不安になった。結局、いつものようにどたばたして7時少し前に出発したのだった。トランクは急ごしらえの荷物でいっぱいになった。
 覆面パトカーを気にしながら、時速100キロ以上で飛ばして宝塚までは順調だったが、そこで渋滞に巻き込まれた。娘は集合時間を気にして、きがえの時間がなくなると、あせりはじめる。渋滞を抜けると又飛ばし始めた。ナビの到着予定時間がどんどん短縮されていく。兵庫県をぬけて、給油とトイレ、朝食にSAに寄った。その時、娘は集合時間を1時間早くよんでいたことに気がついたのだ。
けれど、着替えの時間が十分あると安心するのは早計だった。
 11時過ぎに集合場所のホテルについて、着替えの部屋を聞くと、ないという。その日の宿泊先になってはいたけど、チェックインは3時過ぎで入れない。どうしようと青くなっていると、そういう方は今までトイレで着替えていらした、と若い女性に言われた。少し広いから身障者用のトイレがいいですよ・・・、と。
 とはいえやっぱりひどい状況になった。出てくる時は肌寒いくらいだったのに、岡山から先は晴れていて、広島は青空がひろがって陽射しがきつく真夏の暑さだった。寒い方にあわせて長袖のシャツに上胃を着ていたので、トイレにはいるやいなやたちまち汗がふきだした。その上、着替えの最中に、足袋がないの、ヘアーピンがないのと、なんやかんやたりないものがでてきて、付き添いにきたわけでもないのに、直近のコンビニに使い走る羽目になった。足袋だけはどうにもならなくて、式場で調達できるかもしれないと、いいながら着替えがはじまった。着物というのはややこしいから私は敬遠してきた。だから着付けの手伝いなんかできるはずもない。紐、タオル、と言われるままにさしだして、どうにか帯までこぎつけた。集合時間まで残り30分。ところが、お太鼓を結ぶ段になって、どうもうまくいかない様子になった。袋から着付けの本をだして、見ながらほどいたり巻いたりしている。何度かやりなおしてから、やおら、ドレスにする!と娘は叫んだ。
 タケノコの皮をはぐように、一枚一枚脱ぎ捨てる。私はそれをひろいあげ雑にたたんで袋に詰めた。肌十番は汗でしめっていた。備えあれば憂いなし・・などといいながら、二次会用にと洋服も2種類もってきていた。私が片づけている間に、娘の着替えは済んだ。残り10分。急がなくちゃとロビーに戻り下を見ると送迎バスが待っていた。
 このホテルは娘に用意されたもので、私の宿泊先は少し離れたところにあった。じゃあね、とあっさりいわれて、炎天下をホテルに向かって歩いた。この1時間あまり、なんだったのだろう。むなしさで空腹感を覚えた。

# by babamama_123 | 2012-06-11 15:18 | 歩く | Comments(0)

今週の作品


だらけている間にもう6月。1年の半分が過ぎようとしている。いつものことだけど、暑くなってから特に気力も体力も衰えて、動くのがとてもしんどい。それでもかようだけでもと、目的もはっきりしないのに教室に通った。どうにかしあげたけれど、案の定ちっと進展しない。それでもいいか、自分で自分をなぐさめている。

 アスパラガス 水彩と鉛筆
 
今週の作品_f0095745_13521154.jpg



 猫 油性パステル
今週の作品_f0095745_1354435.jpg



雨の日 銅版画 エッチング 14.5×10㎝
今週の作品_f0095745_13561198.jpg


娘達の幼いころの一日。真ん中は末っ子。ピアノは次女、読書は長女。三女だけは爺さん人目でわかった。ついでに俺の肖像画も壁にはってくれ、だって。

# by babamama_123 | 2012-06-04 14:08 | かく | Comments(2)

木漏れ日の家で

ポーランドの映画、、「木漏れ日の家で」、を観てきた。主演女優は撮影当時91歳のダヌタ・シャフラルスカ、気難しい老婦人アニエラを演じている。モノクロームの映像で、木漏れ日が昔の記憶を影のようにちらつかせる、ように見えた。
 アニエラはワルシャワの郊外の森の中の古い木造屋敷に犬のフィラデルフィア(フィラ)と暮らしている。家はかなり老朽化しているが、昔の面影をそこここに残していて、なにより窓に映る木漏れ日が風情のある家なのだ。独り息子は妻と娘と別に所帯を持っている。アニエラの家にはたまにしか来ないし、連絡もなかなかとれない。たまに電話がかかってきても、受話器を取りに駆けつけてると切れてしまう。急いで階段を降りる老婦人の姿が痛ましく見えた。思うようにならないとイライラして、時にフィラに八つ当たりもする。
アニエラはこの家で静かにくらしたかった。木漏れ日の中に揺れるブランコを見ると、そこには幼い独り息子が膝絵御まげてブランコをこいでいる。又、若いころの自分が今は亡き夫とダンスをしている姿がその中に見えるのだった。ところが、隣家の子供達や、野外音楽練習にくる子供達の声がその追憶をいつも破る。たまに訪れる息子の車もアニエラの平穏を破った。
 ある晩、フィラの吠える声に目が覚めて、窓の外を見ると、息子夫婦が隣家の居間にいて会談していた。そして、帰り際の息子夫婦の会話を聞いてしまう。愛していた息子の本心を見てアニエラはショックを受け生きる希望をなくしてしまう。喪服を着て、手を組んでベッドに横たわって、しばし、突如として、いきかえるのだった。そしてある決心をする。
 そんなアニエラの気持ちをすべてさっしているのはフィラだった。言葉はないけれど、犬のまなざしが語っているかのよう。犬の演技がすばらしく、印象に残った。
 アニエラの決心が実行されて、間もなく、彼女はロッキングチェアーにすわったまま動かなくなった。アニエラの膝に手をのせて、フィラがいつまでもアニエラをみつめている・・・
 
木漏れ日の家で_f0095745_15245670.jpg
 

# by babamama_123 | 2012-06-01 15:31 | 見る | Comments(0)